春野菜のセイロ蒸し ― 2018年04月20日 12:48
今日の日替わり料理は、初登場のこれ↓です。
春野菜のセイロ蒸し 300円
あと、今日もこれ↓やってますので。
塩キノコと鶏肉のごまドレサラダ 230円
ここからはドラマを紹介します。
2016年のテレビドラマで・・・
『おかしの家』
というのがやっていたのですが、これが最高におもしろかったので、紹介します。
東京の下町の片隅にひっそりと存在する駄菓子屋『さくらや』。
この通り。THE昭和!
『さくらや』店内
祖父が経営していた昔は、子供であふれかえっていたのだけれど、いまはほとんどお客は来ず、月の利益が2万円ぐらいしかない有様(>_<)
孫の太郎(オダギリジョー)は、両親を早くに亡くしており、いまは唯一の肉親となった祖母(八千草薫)のためにも、祖父との思い出がつまったこの駄菓子屋をつぶすまいとして経営しているのですが、
これといってとくには経営努力もしておらず、毎日、
店の裏庭で常連さんとだべっています(^_^;)
無職の幼なじみも毎日やって来ます。
毎回、いろんなしみじみしたことや、笑える出来事、悲しい出来事などが起こります。
ノスタルジックであり、いいおっさんになった自分が見たら、共感できることがたくさんあるいいドラマでした。
ネタバレになってしまうのですが、
最終的には↑の幼なじみも、主人公の太郎も、経済的な成功者になりますが、仕事に忙殺され、いつのまにか常識にしばられ、だけどもそれを放棄して昔のような貧乏で自由だった生活に戻ることもできず、
だけど、
だけど、
思うのです。
あの頃は良かったなぁ・・・って。
大阪に住んでいたぼくの少年時代にも、このさくらやとまんま同じような駄菓子屋が近所にあり、ぼくは毎日、そこで10円~50円ぐらいを使いに通っていました。
その店は『ジュンの店』という駄菓子屋で、化粧の濃い、ふくよかな30代ぐらいの人がやっており、
ぼくはそのおそらくジュンさんを、《おばちゃん》と呼んでいましたし、他のみんなもそう呼んでいました。
あるとき、ぼくは店が小学生6、7人であふれているときに、《おばちゃん》と呼ぶのを言い間違え、こう言ってしまいました。
「おかあちゃん、これちょうだい!」
すると、まわりにいた小学生たちが、ぼくを
「おかあちゃんやて。アハハハハ」
そう言って、みんなで笑ってぼくを揶揄(やゆ)したので、ぼくが顔を真っ赤にして黙っていると、ジュンさんが真剣な顔で、声高に、
「何がおかしいんや! 私はみんなのおかあちゃんみたいなもんや。そういう気持ちで、この店やってんのや。笑いな(笑うな)!」
そう言い放ったのです。
そのジュンさんの真剣な気配に気圧され、みんなは笑うのをやめて黙りました。
すると、ジュンさんは何事もなかったかのように、ぼくに、
「これやな。はい。20円やで」
母親のように、やさしく言ったのでした。
物心がついてからずっと通っていたその駄菓子屋は、ぼくが小学5年生でその土地を引っ越したせいで、行くこともなくなりました。
それから12年後、ぼくは大阪のその場所を訪れてみたのですが、そこにはもう『ジュンの店』はありませんでした。
でも、
『ジュンの店』に毎日通った思い出や、あのときの《おかあちゃん事件》(ぼくはそう呼んでいます 笑)は、ぼくのノスタルジック・メモリーとして、いつまでも消えることなく、ぼくの心に色濃く存在しつづけています(*´ー`)
ちょっと長くなってしまったので、次回のブログでも駄菓子のことについて、ちょっと触れたいと思いますが、
今回はひとまずこのへんで(^_^)/~~~