ゴーヤのからあげ2020年08月10日 14:18

最初に、お店の営業情報のお知らせです。

当店、咲々餃子は、お盆の間は定休日の火曜日以外は通常どおり営業しております


本日の日替わり料理は、ゴーヤなこの2品↓です。


     ゴーヤのからあげ 250円


     ゴーヤチャンプルー 450円


ゴーヤはビタミンCが豊富なので、夏バテ予防にうってつけです♪



ここからは雑学なのですけど、

夏の花と言えば、真っ先に思い浮かぶのは・・・


         ひまわりですが、


昭和52年に打ち上げられた日本初の気象衛星はどうして『ひまわり』と名付けられたのか知ってますか?


  現在はひまわり8号・9号が活躍中です。


気象衛星なのだから、例えば『虹』とか『大空』とか『青雲』なんていうネーミングの方が、それっぽいですよね。

ですが、なぜか『ひまわり』・・・。

どうして『ひまわり』になったのかを説明する前に、


昭和39年(1964年)に開業した、
《夢の超特急》こと新幹線の話をする必要があります。


え? なんで、なんで??

と思った人も、ちょっと話を聞いてください。

当時、第4代国鉄総裁の十河信二(そごうしんじ)は、その《夢の超特急》を生み出すために、技術者として島秀雄(しまひでお)に連絡をします。




島秀雄は国鉄のレジェンド級の技術者でしたが、大惨事となった列車火災事故の責任を取るかたちで国鉄を辞していました。

ですが、十河信二は島秀雄の協力なくしては新幹線を完成させられるはずがないと思っていたのです。

それから9年後、新幹線は完成します。

ですがその開通式に、新幹線完成の最大の功労者である十河信二と島秀雄の姿はありませんでした。

どうしてかって?

新幹線を作るためには、国会のでの認可を取る必要があり、それを通すために十河信二は予算を低く見積もって報告していたのです。でなければ、新幹線開発に着手できなかったからです。

ですが、

わかりきっていたのですが、実際には予算ははるかにオーバーし、その責任を取るかたちで十河信二は国鉄総裁を辞任します。十河信二は当初から、自身の辞任と引き換えに新幹線を作る覚悟だったのです。

はたして、


1964年10月1日の歴史的なセレモニーを、


島秀雄は自宅のテレビで見ることになりました。島秀雄の妻はテレビを見ながら、庭で趣味の園芸をしている夫に問いかけました。

「あなたはこれで良かったんですか?」

島秀雄は草花をいじりながら、こう答えたそうです。

「いいんだ。私を拾ってくれた十河さんがいない式に出ても意味がないからね

ですが、島秀雄の機械技術力を世界が認め、その後、当時の総理である佐藤栄作から宇宙開発事業団の初代理事長の大役を請われて就任します。

そうして、

園芸好きの島秀雄が手がけた日本初の気象衛星は『ひまわり』と名付けられます。その後の人工衛星も『きく』『ゆり』と、植物の名前が付けられました。

どうして気象衛星が『ひまわり』という名前になったか、これでよくわかったと思うのですが、

もしも、

島秀雄さんの趣味が園芸ではなく料理だったら、日本初の気象衛星の名は『ひまわり』ではなく、

『肉じゃが』とか、

『ハンバーグ』とか、

ひょっとしたら、

『餃子』とかになっていたかもですね(*´艸`*)

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