もちもち焼きえのき2019年12月26日 12:46

本日の日替わり料理は・・・


    もちもち焼きえのき 200円


えのきをもちもち食感に焼いた一品です。



ここからは『サクシネマ』ですが、今回ご紹介する映画はこれ↓です。


  『アイ・アム・レジェンド』(2007年)


テレビでも何回も放送されているので、観た人も多いと思います。でも、ぼくはつい先日ようやく観ました。というのも・・・


 自分以外だれも人間がいなくなった世界
       (映画の舞台はニューヨーク)で、


することがないので、戦闘機の上から
 ゴルフボールを打っているこの予告映像を観て・・・


世界で唯一の生き残りの人間が、ゾンビみたいな化け物に襲われて闘い、そしてなんとかまた生き残る・・・的な、ハリウッドが大好きなノーテンキな娯楽映画だと決めつけていたからです。

ですが、

観てみると、もっとしっかりとしたメッセージ性のある映画だと知りました。

あらすじを簡単に。

新開発のガンの治療薬が突然変異し、致死性のウィルスが誕生してしまいます。投薬された人間の半数が死亡し、残りは狂犬病に似た症状を発症し、それはダーク・シーカーと呼ばれる化け物になってしまいました。


       ダーク・シーカー。


ウィルスは発生源のニューヨークから空気感染して世界中に広がったのですが、体内にウィルスへの抗体を持っていたロバート・ネビル(ウィル・スミス)は、世界で唯一の人間となったいま、あえて発生源のニューヨークに残っては、どこかにいるかもしれない生存者にむけてラジオの電波で自身のことを発信したり・・・


捕まえたダーク・シーカーに血清の治験をしては、


いつの日か彼らを人間に戻そうと研究していたのですが、なかなかその血清は作れず、結果としてダーク・シーカーたちを死なせてしまうばかりの日々だったのです。


大勢いるはずのダーク・シーカーたちですが、彼らは極度に紫外線に弱く、陽が落ちてからしか行動できないため、昼間はどこかの建物の暗闇に身をひそめており、夜になると生き物を襲って空腹を満たしています。

ですので、

ネビルは昼間はけっこう自由にできるのです。ですが、夜は彼らに見つからないように、今度は逆に自分が身をひそめていなければならないのでした。

自分がネビルだったら・・・と思って考えてみてください。

自分以外誰も人間もいない世界の孤独と寂しさ。ダーク・シーカーたちに見つかるかもしれない不安と恐怖。治験が思うようにいかない苛立ちと虚しさ・・・。

気が狂いそうになると思いませんか? そういう気持ちや感情を、ウィル・スミスが見事に演じていました。それがこの映画の最大の見所だと思います。


ネビルはその果てしない孤独のなか、どうやって正気を保っていたかというと、愛犬のサムとの会話のほかに、毎日DVDショップに通っては、店員や客に見立てて配置したマネキンたちに、彼らが本当に人間であるかのように話しかけ、そしてDVDを借りて帰るというのを繰り返していたのです。

ですが、

そんな発狂しそうになりそうな日常で正気を保つための彼なりの努力が、ある日、ほころびを見せます。

DVDショップに置いてあるはずのマネキンが1体、別の場所に移されていたのです。

自分以外は、動物かダーク・シーカーしかいないのです。マネキンを動かす人間などいないはずなのです。

どうしたことだと思って狼狽していたら、それはダーク・シーカーたちの罠でした。ダーク・シーカーは知性のないただの凶暴な野獣のようなものだとばかりに思っていたのですが、彼らには知能や社会性も存在していたのです( ̄□ ̄;)

ネビルはその罠からなんとか生きて脱出しましたが、愛犬のサムはネビルを助けようとしたために、ケガをし、ウィルスに感染し、そして・・・(>_<)

愛犬のサムが死んでしまったことで、ギリギリ正気を保っていたネビルの精神は崩壊します。

さて、ネビルはこのあとどういう行動に出るでしょう?

世界には本当にネビルしか人類はいないのか??

ダーク・シーカーを人間に戻すことはできるのか???

・・・と、

ここから先はネタバレなので、すでに映画を観た人だけ読んでもらいたいのですが、

サムが死に、自暴自棄になったネビルは、ダーク・シーカーを手当たり次第に殺そうとします。ですが、多勢に無勢で、ネビルもダーク・シーカーの餌食になろうとしたそのとき、ネビルは助かります。アナという女性がネビルを助けたのでした。


    アナとその息子くんと、ネビル。


別の場所にウィルスに感染していない村があり、そこに生存者もいるらしいからいっしょにそこに行きましょう、と言うアナにネビルは、

「そんな村はない! 俺は発生源のこのニューヨークに残り、人類を救うための血清を作る!」

かたくなにそう主張します。というのも、さきほどの画像の、女性のダーク・シーカーに打った抗体が効いてきて、じょじょにではありますが、人間に戻る兆しを見せ始めていたからです\(◎o◎)/

そんななか、ダーク・シーカーたちにネビルの隠れ家がバレてしまい、ある夜に総攻撃を受けてしまいます。攻防しながら、地下の研究室に逃げ込む3人・・・。

研究室を仕切る分厚いガラスの向こうには無数のダーク・シーカーたちが迫ってき・・・


 ガラスに体当たりしては、もうガラスが
  砕けるのも時間の問題となったときに・・・


ネビルはダーク・シーカーのリーダーらしき者に、

「君たちを人間に戻すことができそうなんだ! だからやめてくれ!」

と叫ぶのですが、その声を聞く耳などもたない様子で、ダーク・シーカーはガラスへの体当たりをつづけ、もうダメだと思ったネビルは、アナに血清を手渡し、

「その村までなんとか生き延びて、その血清でいつか人類を救ってくれ」

そう言い放ち、手榴弾を片手にダーク・シーカーに突入していくのです。

そして・・・

アナは生き延びて村にたどり着き、ネビルの命と引き換えに守った血清のおかげで人類は復活し、人類を救ったネビルは《伝説の人》となった・・・というエンディングなのですけど、

けれど、

じつはこれは、当初のエンディングとは違う別のエンディングで、もともとのエンディングはDVD特典として収録されています。

どうして、エンディングが差し替えられたかというと、公開前の試写会での観客の反応が良くなかったからです。

で、ここからが原作に忠実なエンディングの話になるのですが、

そもそも、先ほどの話ならば、ネビルが死んだあとで彼は《伝説の人》となるわけだから、タイトルの・・・

①『I am Legend』(私は伝説の人だ)

では、おかしいのです。もしそうなら、

②『He is  Legend』(彼は伝説の人です)

でなければなりません。①であるには、ネビルが自身が伝説の人であることを知っていなければ矛盾するのです。

で、

原作どおりのオリジナルのエンディングでは・・・

ネビルが治験して人間へと戻りつつあったダーク・シーカーは、彼らのリーダーの恋人で、彼らは自分たちを次々に捕まえては殺すネビルを、《伝説の殺し屋》として憎み、いつか仲間の仇を取るために報復すべく彼を狙っていたのです。

ここで初めて、ネビルは自分が彼らにとって《伝説の人》だったことを知るのです。そのことからの・・・

『I am Legend』(俺は伝説の人間だったのだ)

なのです。

人類のために良かれと思い、ダーク・シーカーを捕獲し、拘束して治験し、人間に戻そうとしてきたネビルだったのですが、

ダーク・シーカーには、ダーク・シーカーとしての人格や、社会や、理念や、道徳があり、

なので、ネビルがしていたことはダーク・シーカーたちにとって、自分の正義や理想の押し付けであったわけです。

それはすなわち、アメリカが他国に干渉し、ときに武力行使し、自国の正義と理想を押し付けていたことを暗喩していて、何が正しいかはその国の歴史や、人種や、宗教など、様々な事由によって違ってくることを無視してはいけないという・・・

『アイ・アム・レジェンド』という物語には、そんな深い深いメッセージが込められていたのです!\(◎o◎)/


オリジナルのエンディングでは、自分がダーク・シーカーにとっての悪い意味での伝説の人間になっていたことを知ったネビルが、ダーク・シーカーのリーダーに謝り、許され、ネビルはアンたちとニューヨークを去ります。

このオリジナルのエンディングは、メッセージ性は強いですが、ちょっとわかりにくいですし、何よりもスッキリしないので、大多数のアメリカ人は不満を抱き、急遽エンディングが差し替えられたのでした。


こういうことを踏まえたうえで、再度『アイ・アム・レジェンド』を鑑賞してみるのもアリだと思いませんか?(^_-)-☆