期間限定『納豆餃子』2020年02月16日 11:48

本日より期間限定納豆餃子 300円を販売いたします(^_^)V


      包む前の納豆餃子の具


どうしていま納豆餃子なのかというと、2月と言えば梅で、梅と言えば・・・


      水戸の偕楽園で、
  

水戸と言えば納豆だからです(*´∀`*)

本日の日替わり料理としましては・・・


 かぼちゃとクリームチーズのサラダ 230円


かぼちゃにクリームチーズが混ぜ込んであるので、おいしいですよ(^_-)-☆



ここからは『サクシネマ』です。

この映画を観返すたびに、クリント・イーストウッド監督の力量に感嘆させられます。


  『アメリカン・スナイパー』(2014年)


イラク戦争で160人以上を狙撃した伝説のスナイパー、クリス・カイルの自伝映画です。

映画の冒頭から、イーストウッド監督の演出に魅せられてしまいます。どういう冒頭かというと、


 建物から母と息子らしき親子が出て来るのを、


建物の屋上から狙撃待機しているクリスが、無線でそのことを本部に、

「建物から親子らしきふたりが出て来た。母親の腹のあたりが膨らんでいる。何か爆発物を隠し持っているかもしれない」

そう伝えます。すると、本部からの返答はというと・・・


 「お前の判断で撃ってかまわない」なのです。


一見、信頼されて任されているように聞こえるこの言葉・・・。実際は、間違った判断だった場合の責任も自分持ちでの「お前の判断で撃ってかまわない」なのです。しかもクリスはこれが初の実践現場なのでした。

隣にいるパートナーは、

「どうする? 撃って、もしただの民間人だったら、刑務所行きだぜ」

と、そんな責任までこっちに押し付けるなよ、とでも言いたげに、クリスの判断を伺います。

クリスはスコープで親子の動向を窺いながら、撃つべきか撃たざるべきか迷いつつ、トリガーにかけた指を硬直させています。

ここで、場面はいきなりクリスの生い立ちになるのです。この演出の妙にうなっていまいました。

映画を観ている人は、さきほどの親子をクリスが狙撃するのかしないのか、狙撃するとすれば、いかにも無害・無力ふうなあんな親子を、クリスは逡巡することなく撃てるのか・・・なんて思いつつ観ていたわけで、ここでクリスの生い立ちを見せられることで、クリスが育んだ人格こみこみでのさきほどの場面になるわけです。

で、クリスの生い立ちなのですが、

テキサスの片田舎に生まれ育ったクリスは、厳格な父親から狩猟を教わりながら育ちました。父親は子供たちにこう言い放ちます。

「人間は3つに分けられる。それは《羊》と、《羊を食べる狼》と、《羊を守る番犬》だ。いいか。カイル家には《羊》になるような人間はいらない。《狼》になるようならいますぐ俺がぶっ飛ばす。お前たちは《番犬》になるんだぞ」

無力なただ守られるだけの人間にはなるな。もちろん無力な者を攻撃するような人間にはなってはいけない。弱い者を助けられる人間になれ。クリスはそういう教えのなか、射撃を教わり、そして大きくなったのです。それが彼のバックボーンなのです。

そして大人になったクリスは海軍に志願し、狙撃の腕を見込まれ、海軍の特殊部隊(ネイビー・シールズ)に配属されます。

愛する女性とも出会い、結婚したクリスですが、結婚してすぐさま戦地のイラクへ召集されます。で、さっきの場面なのです。

できれば撃たず済ませたい・・・と思っていたのに、母親は隠し持っていた対戦車用の爆弾を息子に渡します。


 戦車に向かって走り出そうとするその息子を、
                 カイルは狙撃。


撃たれた息子の元に走り寄った母親は、爆弾を手に取り、戦車に向かって投げようとしたところを、カイルはすでに撃ち抜いていました。

しかたなく母子は射殺しましたが、カイルのおかげで仲間の命が救われたのです。カイルはそういう役目で、戦地に召集されていますし、善悪の真意はともかく、これが戦争だというのを、イーストウッド監督に明示された気がしました。

たったいま説明したとおり、一見、ただの民間人のような人が、ゲリラかもしれないような状況ですし、ロケットランチャーを撃とうとした敵兵を射撃したあと、そこに子供が近寄ってきて・・・


  そのロケットランチャーを拾い・・・


撃つかどうしようか迷うような素振を見せます。

スコープで照準を合わせながら、

〈置け。置いて消えろ〉

そう念じるカイル。

さあ、カイルはこの子供を撃たなくてはいけないのでしょうか?

こんなふうに、カイルは神経をすり減らしながら、4度の召集で160人以上を狙撃し、仲間が何人も死んだり、生きて帰ったとしても五体満足ではなくなった仲間も少なくないなか、幸運にも彼は無事に妻子の元に戻ることができます。

ですが、体は無事でも、心は無事ではありませんでした。戦地から帰った者の多くがそうであるように、カイルもまたPTSDに苦しめられていました。

もう戦地ではないのに、気持ちは戦地のままなのです。物音や機械音に過敏に反応し、心が安らぐことはありません。そんな夫を心配した妻のすすめで、カイルは精神科のカウンセリングを受けるようになります。




そして、彼と同じように精神を病んだイラク帰還兵たちとの交流を経て、ちょっとずつ普通の状態になっていたのですが、ひどいPTSDに陥っている退役軍人の若者を励ますために同行した射撃場で・・・。

劇中でこんなシーンがあります。

イラクで死と背中合わせで自国民を守るために戦っているというのに、帰国してみれば、思っていたよりイラクの現状のことが報道されておらず、国民も無関心で、クリスはいったい俺たちは何のために戦っているんだ・・・と憤るのです。

朝鮮戦争、ベトナム戦争のときと同じことが繰り返されているわけです。《正義》という名目のもとに、兵士を駒のように動かす・・・。こういう愚行はいつまで繰り返されるのでしょう。

本当の正義とは何なのか、本当の悪とは何なのか・・・。いろいろ考えさせられる映画です。一度、ご覧になってみてください。

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