水菜とみょうがのシャキシャキ和風サラダ2020年05月10日 13:41

お客さんが激減な現状において、いま力をいれているのは・・・


テイクアウトです(AM11時半~やっています)。


ただ、テイクアウト用の容器が品薄というか、品切れ中で、いまある容器の在庫が切れたらテイクアウトもできなくなってしまうかもしれません(+д+)

「飲食店はテイクアウトを中心に営業してもらいたい」

政府は簡単に言いますが、容器の専用ルートがある大手と違い、個人の店はこういう(テイクアウトの容器の確保ができない)問題にも直面しており、そう易々とは営業方法のシフトができないのが現状です。

ですが、

グチを言っていてもいいことは何もありませんので、


       入念な除菌をしながら・・・


やれる範囲で、前向きにがんばっていきます(●^o^●)

本日の日替わり料理としましては、水菜とみょうががさっぱり感を演出している・・・


水菜とみょうがのシャキシャキ和風サラダ 230円


この他にも、あれやこれやご用意しておりますので~\(^o^)/



ここからは映画をご紹介する『サクシネマ』です。

前に1度観て、けっこう泣かされたんですけど、2度目はどうかなと思ったら、やっぱり泣かされました(TдT)


 『ミリオンダラー・ベイビー』(2004年)


古びたボクシング・ジムの経営者兼トレーナーのフランキー(クリント・イーストウッド)は、心が暗い影で覆われています。それは娘と永らく音信普通になっていることであり、


共にジムを切り盛りする
スクラップ(モーガン・フリーマン)の目のことでした。


スクラップは元ボクサーで、そのときのトレーナーはフランキーだったのですが、フランキーが試合をストップさせなかったために、結果としてスクラップは片目を失明してしまったのです。

と言っても、それはスクラップ本人が試合の続行を願ったせいなのですが、フランキーは20年以上がたった今でも、そのことに関しての自責の念が晴れないでいるのでした。

なので、

以来フランキーは、安全重視なマッチメイクしかしないために、強くなった選手は《なかなかタイトルマッチをさせてもらえない》と不満を口にし、別のジムに移ってしまったりする有様でした。

そんなフランキーのもとに、ある日31歳のマギーという女性(ヒラリー・スワンク)が入門を申し込んで来ます。

安全重視なフランキーは、女性の入門者はダメだと断ります。ですが、マギーはあきらめずにジムに居座りつづけ、その熱意に負けたかたちで、


フランキーはマギーのコーチをするようになります。


マギーは順調に強くなり、連続KOでタイトルマッチにまでたどり着くのですが・・・。

この映画は、↓こんなふうに・・・



   暗い影の演出が多用されています。


それはつまり、この映画が人生における《光と影》の影の部分を描いていることを暗喩しているのです。

前述したように、フランキーは後悔を背負い続けていますし、

スクラップはボクサーとしての栄光をつかみそこね、いまはジムに寝泊りしては細々とトレーナーをしており、

マギーは薄情で強欲な家族に冷遇されながら、貧乏な生活に耐えてボクシングをつづけています。


一度の失敗(ミス)が一生の傷になることがあります。

フランキーはそれで苦しみつづけていますが、スクラップはというと、それを悔いてはいないのでした。もしも、あのとき試合を止められていたら、それこそ後悔していただろう、スクラップはフランキーにそう言います。

ミスを恐れて、安全な、ノー・ミスで生きる人生を選んでばかりいたのでは、後悔のない(ノー・リグレットな)人生は得られないと思います。

大なり小なり、人生は賭け(チャレンンジ)であり、その明暗を分けるのは半分は実力で、半分は運なのです。2分の1の確率ならやってみようという人と、だったらやめておくという人、どちらが正解だとは断言できませんが、人生のゴールはそういう岐路の先にあるものではないでしょうか。

さて、

マギーはどういう人生の選択をするのでしょう。


フランキーはマギーのタイトルマッチの直前に、
ゲール語で《モ・クシュラ》と書かれたガウンを贈ります。


これは人としての尊厳、命の尊厳を考えさせられる映画です。観ていて苦しくなるほどの壮絶で静謐なラストで、《モ・クシュラ》の言葉の意味を知ったとき、アナタはきっと嗚咽せずにいられないと思います。ぼくはそうでしたから(TдT)


アカデミー賞の作品賞・監督賞・主演女優賞・助演男優賞という4冠を獲得したこの作品。重く、つらい気分になる映画ではありますが、でも傑作だと思いますので、機会があればぜひご覧になってください(*´ー`)