しらすのユッケ風2021年12月05日 12:15




本日の日替わり料理は・・・


しらすのユッケ風 280円


しらすおろし 230円


あっさり豚バラ大根 280円


それと、咲々餃子は当面月曜と火曜がお休みなので・・・


焼餃子・生餃子を買っておくなら今日ですよ~(^з^)-☆



ここからは『サクシネマ』です。

これは実話の映画化で、こんなことが実際に・・・と恐怖を覚えてしまいました。


『弁護人』(2013年)


高卒から独学で勉強して弁護士になったソン・ウソク(ソン・ガンホ)。学歴もコネもなくて貧乏だったのですが、不動産登記業務に目をつけて釜山一の税務弁護士になることに成功します。


そんなウソクは、貧乏学生だった頃に馴染の店を食い逃げをしたことがありました。で、そのときの謝罪をしにそのクッパ屋に出向き、


「覚えてますか? 昔、ここで食い逃げをしたことがある者です」


謝罪をしに出向くと、店の女主人スネとその息子ジヌはそのことを覚えていて、

「お金なんていいよ。それよりも、こうして来てくれたことがうれしい。今日も私のオゴリだからね♪」

と、何年ぶりかの再会を喜んでくれました。

それから、そのクッパ屋にちょいちょい通うようになったウソクでしたが、ある日、スネから相談を受けます。


「息子のジヌが公安当局に逮捕されて、もう2カ月も音信不通なんだ。助けてくれないかい?」


ウソクは税務専門の弁護士で、公安相手の弁護はもちろん、普通の弁護すらしたことがなかったので、自分ではなく別の弁護士に・・・と断ったのですが、スネの懇願に折れて、拘置所に出向きました。


普通、逮捕・拘留される場合は、親族にその旨を伝えなければなりませんが、スネはそのことを知らされておらず、この2か月間自力であちこちを捜し歩き、最終的には身元不明の死体置き場まで尋ねていましたし、拘置所の面会も却下されていました。


それは明らかに憲法違反だ!とウソクは怒り、ようやくジヌとの拘置所での面会を許可させました。


ジヌを抱きしめるスネ。


ですが、ジヌの様子が変なのです。すっかりやせ細ったジヌは、終始暗い表情で、うつむき、多くを語ろうとしません。


「何があったんだ!?」


ようやく事実を聞き出したウソクは、それを聞いて愕然とします。ジヌは大学の仲間と本の読書・討論会を開いていただけなのに、それが反政府的なデモ運動だと共産主義の疑いをかけられ、ジヌとその友人たちは逮捕・拘留されていたのでした。しかも、その間ずっと拷問を受け、事実とは違う内容の供述書にサインまでさせられていたのです。


弁護士にとって、公安を敵に回すということは、国を敵に回すということであり、つまりは今後の弁護士人生が険しくなることを意味します。ウソクはようやく貧乏から裕福になったばかりでしたが、ジヌたちが受けたあまりの理不尽に義憤を覚え、周囲の反対を押し切ってその弁護を引き受けることにします。


公安・国を相手にした裁判・・・。だいたいご想像がつくでしょうが、その想像どおりの、いやそれ以上の不公平な裁判が行われます。


裁判なのに被告の姿がなく、ウソクが被告を裁判に参加させるように求めると、渋々連れて来られたジヌたちは拘束されていて、


「まだ判決も出ていないのに、拘束するなんておかしいじゃないか!」


ウソクは声を荒げます。

その後も、どう弁護しても有罪ありきな裁判に、被告たちも傍聴者も涙を流す有様で、


「こんなのおかしいじゃないですか!」


いろいろあって、被告たちは無罪であり、逆に公安の暴力と監禁の罪を問えるべき、決定的な証人を用意したにもかかわらず、《権力》でもってそれを無きものにしようとするその裁判に・・・


「こんなの出来レースじゃないか!」


憎々しげにふんぞり返る公安の担当者。


ウソクは最後の最後まで闘うのですが・・・。

事実として、どうなったのかは映画を観てもらうか、この史実を調べてもらえばかわかるのですが、ウソクを演じたソン・ガンホの演技が迫真で見ごたえがありました。


ところで、

このウソクのモデルが誰か、知っていますか?

それは・・・


第16代大統領の盧武鉉(ノ・ムヒョン)です。


あれから国会議員になったノ・ムヒョンは、最終的に大統領にまで登り詰め、そして登った山はいつか下りなければならず、山から離れたあとは、親族の収賄罪で追い詰められ、自身にもその嫌疑がかけられたなか、投身自殺を遂げました。


金儲け主義の弁護士から、利益度外視の人権派弁護士になり、《体制》という大きな権力と闘ってきた人間の末路としては、劇中の命がけの弁護を観るかぎり、一抹の寂しさを覚えてなりません。


ノ・ムヒョンは、投身自殺をする2カ月前に、こんな文章を残しています。

《政治、するな。得られるものにくらべ、失なわなければならないものがはるかに大きいから。大統領になろうとしたことは間違いだった》

《失うもの》ではなく、《失なわなければならないもの》というのが、政治家の歩く道の非尋常さを表しているように思います。


ノ・ムヒョンは、政治家にならずに、そのまま人権派の弁護士でいつづけていれば、目に見えない何千万という国民ではなく、目に見える本当に困っている何人、何十人を助けられたのかもしれません。皮肉な話ですけど・・・。