ピリ辛ミニ麻婆豆腐 ― 2020年04月01日 11:48
本日の日替わり料理は、あったかい料理をご用意しました。
まずひとつめは、花椒が入ってピリ辛な・・・
ピリ辛ミニ麻婆豆腐 230円
それと、じゃがいも、にんじん、ブロッコリーの野菜がうれしい・・・
ポトフ(シャウエッセン入り) 300円
飲食店はどこもきびしい状況で、当店も例外ではありませんが・・・
笑顔でがんばりますよ!\(^o^)/
偉人のお話をします。
先月の3月27日はX線を発明した・・・
ヴィルヘルム・コンラート・レントゲン
の誕生日でした。
1845年、ドイツで生まれたレントゲン。彼が高校3年生のときにこんな出来後がありました。
高校のクラスメイトが《巨大な鼻》という陰のあだ名を持つ教師の似顔絵を黒板に書き、それを見た教師は烈火のごとく怒り、レントゲンにこう訊きました。
「レントゲンくん、君はこの絵を描いた人間が誰か知っているだろう?」
レントゲンはもちろんその《犯人》を知っていましたが、
「知りません」
と、かばいます。そのためにレントゲンが犯人の濡れ衣をかぶることになり、もうすぐ卒業だったというのに学校を退学させられてしまいます(lll ̄□ ̄)
《退学者》という不名誉なレッテルを貼られたレントゲンは、ドイツ国内での大学受験資格を剥奪されますが、彼の成績が優秀だったために、スイスのチューリッヒの大学に入学試験免除で招き入れられます。
大学卒業後は物理学の講師を勤め、1888年にドイツのヴュルツブルク大学に移り、さらに1894年にはその大学の学長に就任します。
で、その翌年、レントゲンが50歳のときに体内を映し出せる《謎の光線》を発見します。彼はその《謎の光線》を、数学で未知数を意味するXから取り、X線と名付けます。
その世紀の大発見から6年後の1901年には、『X線発見の功績』により第1回のノーベル物理学賞を受賞します。
で、
レントゲンがすごいのはここからなんです。
レントゲンはX線を発見できたときに、助手にこうもらしました。
「あのままドイツで進学していたら、いまこうしてこのX線を発見できていたかどうかわからない。あのとき落書きをした友人に感謝しなくてはいけないな」
レントゲンが退学処分を受けたときに、自分が犯人だと名乗り出なかった友人に感謝する心の広さを持っていたレントゲン・・・。
そして、ノーベル物理学賞を受賞したとき、助手はレントゲンにこう進言します。
「先生! 早く特許を取った方がいいですよ。でないと、誰もが何の代償を払うことなく当たりまえのようにX線を使いだしますよ」
レントゲンはそれを聞き、こう答えます。
「いいんだ、それで。自分の人生はこのX線を発見するためにあったのだから。これを世界の人々が自由に使えるようになった方がいいんだよ。だからノーベル物理学賞の賞金も全額寄付するつもりだ」
その言葉どおり、レントゲンはノーベル物理学賞の賞金をヴュルツブルク大学に寄付します。
莫大な賞金も受け取らず、特許で財を成すでもなく、世の人々に貢献することだけを願った、清貧で高潔な人間だったレントゲンは、その功績に似つかわしくない困窮した生活のなか、ガンで67歳で亡くなってしまいます(>_<)
人格者のなかの人格者だったレントゲンに、彼らしいこういうエピソードがあります。
彼はX線が世に広まり、それが彼の名を取って《レントゲン検査》と呼ばれるようになったことについて、助手に気恥ずかしそうな顔でこう言ったそうです。
「できれば《レントゲン検査》とは呼ばずに《X線検査》と呼んで欲しいんだよね。自分の名前がつくなんてなんだか偉そうだからさ」
レントゲンさん、
アンタ・・・
かっこ良すぎるぜ!( ̄ー ̄)b