通常営業してます ― 2020年03月30日 12:28
「今日は営業してますか?」
最近、そういうご質問の電話を受けることがままあります。
世の中は臨時休業をしているお店もありますが、当店咲々餃子は通常営業しております。
衛生的には・・・
テーブルやノブなどは除菌スプレーをかけて拭き、
対面になるレジには・・・
ネットで購入したこのウイルスシャットアウトを・・・
壁にぶらさげております。
お店もこの頃は空いておりますので、ぜひのご来店をです(^-^)
ここからは特選の映画をご紹介する『サクシネマ』です。
この作品を嫌いな人はいないだろうと思える映画、それがこの・・・
『ワンダー 君は太陽』(2017年)
深イイ映画だったので、ちょっと長く書きたいと思います。まずはあらすじを。
母のイザベルと父のネートの息子のオギーは、トリーチャーコリンズ症候群のために顔が変形していて、これまでに27回もの整形手術を経験していました。
ですが、それでもまだ顔面は・・・
このように、ちょっと人とは違っています。
"I am not so ordinary."(ぼくはかなり普通じゃない)
これは映画の冒頭でオギーが語るセリフの一部です。
オギーはその特異な容姿のために、ずっと母親のイザベルと自宅で学習をしていました。ですが、10歳になったのを機に、今後のオギーの人生のことも考えて、イザベルはオギーを学校に通わせることにします。
父親のネートはオギーが学校でいじめられることを心配し、自らはその提案をせずにいたのですが、気持ちはイザベルと同じです。だからネートはオギーにこう声をかけます。
「お前には家族がいるから、何があってもひとりじゃない」
安易に「だいじょうぶだから」と言うのではなく、困難が待ち受けていることを予期しつつも、孤独じゃないから安心しろ、家族もお前といっしょに悩んでがんばるから、そういう気持ちをふくんだ言葉をかけるネートを見て、映画の冒頭からもう胸が熱くなりました(ノдヽ)
こういう映画だと、障害を持っているにもかかわらず、それをコンプレックスに思わずに、ポジティブにがんばることで、何もかもがいい方向に向かっていく・・・という流れの物語が多いと思うのですが、この映画は違います。
オギーは《普通》の少年です。他人が自身の顔を奇異や憐憫の眼差しで見ることに平気でいられる、という強い心があるわけでもありませんし、外に出かけるときには・・・
いつもこの宇宙飛行士型の
ヘルメットをかぶっています。
「さあ、ヘルメットを取って、学校に出かけてらっしゃい」
イザベルにそう言われ、いやいやヘルメットを脱ぎ、初登校するオギー。想像したとおり、オギーを不思議な目で見る生徒たち。校庭を歩くときも、教室でも、ずっと沈んだ表情のオギー。
もしも自分の子供だったら・・・。
そう思ってオギーの気持ちや、両親の気持ちを想うと、涙腺がゆるみました。
そして、案の定、オギーは連日嫌な思いをし、ふさぎこんで帰ってくるようになり、オギーは母親のイザベルに、
「もう学校に行きたくない。こんな醜い顔じゃ、だれもぼくと友達になってくれないよ!」
そのようなことを訴えます。このときにイザベルがオギーにかけた言葉が、それはそれはステキでした。
「心は人の未来を示す地図で、顔は人の過去を示す地図なの。
あなたは絶対に醜くないわ」
心は人の未来を示す地図・・・。心がきれいだと明るい未来が記されていて、逆に心が穢れていれば暗い未来が記されている。
顔は人の過去を示す地図・・・。人の顔には、その人がこれまでにどんなふうに生きてきたかが記されている。悪行をして生きてきたならそれが顔に記され、意地悪な顔つきになっているはず。逆に懸命に生きてきたなら、それが顔つきに記されているはず。
人の顔の美醜とは、その造作で判断するものではないと思います。人柄や、生きかたが顔を作るものではないでしょうか。そうであるなら、オギーはイザベルが言うとおり、醜くなどあるわけがないのです。
イザベルの言葉どおり、
聡明でユニークなオギーは、じょじょにクラスメイトに親しまれていきます。
ひとりぼっちで食べていたランチも、
いっしょに食べようと言ってくれる友達が現われ・・・
登校当初はクラスのはじっこにいたのに、
サマーキャンプではもうクラスの中心に!
だというのに、オギーはこれまで外出時にはかならずかぶっていたあのヘルメットを、いつまでたっても手放そうとしませんでした。
「ハロウィンが好きだ。毎日がハロウィンだったらいいのに」
冒頭で、オギーはそう言っています。顔を隠していても不思議に思われないハロウィンは、オギーが心底安心して外出できる日で、つまりヘルメットはオギーにとっての《安寧》そのものだったからです。
そのヘルメットが、ある日紛失してしまいます。じつはヘルメットは父のネートが隠したのでした。そのことを知ったオギーは怒りを露わにして、ネートを激しく非難します。
ネートは怒るオギーに、やさしく静かにこう言います。
「ヘルメットより顔を見たかった。お前の顔が好きなんだ。
息子の顔が見ていたい。許してくれ」
それを聞いたオギーの返事はたったひとこと、こうです。
「いいよ」
もうね、絶対に泣けるやつでしょ、これ(TдT)
ここに書いたこと以外にも、いろんなことがあります。オギーのお姉さんのことや、オギーがどうなっていくのかも必見なので、ぜひ観てもらいたいのですが、
そもそもこれは実話ではありません。ですが原作の小説『ワンダー』を書いたパラシオさんに、こういう体験があったといいます。それは・・・
パラシオさんには2人の息子がいて、当時3歳だった下の息子が、オギーと同じトリーチャーコリンズ症候群の女の子を見かけて、大声で泣きだしてしまったんですって。
息子くんは、きっとびっくりしてしまったんだと思うんです。もちろんそこには悪意などあるわけもありません。
パラシオさんは泣きだした息子よりも、その女の子を傷つけまいとして、慌ててベビーカーを押してその場から遠ざかろうとしたそうです。
すると、その女の子の母親がその空気を察して、
「そろそろ行かないとね」
穏やかに娘にそう言って、その場から離れて行ったんですって。
パラシオさんはこのときのことが、その後もずっと心に残っていたと言います。
あの女の子はどのように感じただろうか。
女の子の母親の気持ちはどうだっただろう。
私はどのような態度を取るべきだったのだろう。息子たちにどんな言葉をかけ、どういう姿勢を見せるべきだったのか・・・。
その思いが、パラシオさんに『ワンダー』を書かせたわけです。だからこれは、パラシオさんなりの反省や後悔であり、自分をふくむみんながすべき模範を物語にしたものなのです。
なので、この映画を観れば、誰しもがいろいろ考えさせられるはずです。そして《真の美しさ》を再認識すると思います。
冒頭オギーが、
"I am not so ordinary."(ぼくはかなり普通じゃない)
こう言ったと書きましたが、これにはつづきがあります。
"Maybe if you knew what other people are thinking, you know that no one is ordinary."
(もしみんなの心がのぞけたなら、きっと誰も普通じゃないよ)
顔も考え方も、それぞれみんな違っている。普通じゃないのが当たりまえ。普通であることにこだわる必要なんてない。
オギーは10歳までかぶっていたヘルメットを取ることで、そういう真理を知ったわけです。
このことは、いままで自分が《してこなかったこと》をすれば、新しい何かを得られることを示唆していると、ぼくは思いました。
ですから、
若い人も、ぼくのような中年も、もっと歳を召した方も、いままで自分が《してこなかったこと》にトライしてみれば、未知の新しい扉が開くかもしれませんよ(^_-)-☆
最後にちょっとだけ英語のお勉強を。
さっき、オギーは《普通》というのを《ordinary》と言ってましたよね。
日本語で言う《普通》は《normal》がポピュラーですが、平凡だという意味での《普通》を示したいときには《ordinary》を使うようです。
英語で言う《normal》は《通常の》とか《正常の》という意味合いで使うことが一般的なんですって。
"I am ordinary."(私は平凡です)
"No, you are not so ordinary. lol"
(いえいえ、あなたはかなり普通じゃないですよ。笑)"