鶏もも肉うまだれ焼き2024年06月15日 12:53


本日の日替わり料理は・・・


鶏もも肉うまだれ焼き 350円


大葉・みょうが・しょうが・かいわれ・万能ねぎの
5種薬味奴 280円


あぶら揚げのハム大葉チーズはさみ焼き 250円


目玉焼きのせハンバーグ 350円


濃厚キーマハヤシライス卵黄のせ 680円


ニラ納豆ユッケ風 320円


きゅうりの浅漬けサクサク風 230円


舞茸のカリカリチーズ焼き 280円


シャウエッセン(焼き or ボイル) 300円


シャウエッセンチーズオーブン焼き 330円



ここからは『サクシネマ』です。

1948年に木下恵介監督、1962年に市川崑監督と、日本の歴代の名だたる巨匠が映画化してきた島崎藤村の名作小説の、60年ぶり3度目の映画化です。前の2作は未観賞なのですが、今作は素晴らしい内容の映画でした。


『破戒』(2022年)


明治時代後期、被差別部落に生まれ育った瀬川(間宮祥太朗さん)は、今は亡き父親から遺言のように厳命されていたことがありました。それは・・・


「絶対にこの部落の出身だということは隠し通せ。誰にも言ってはなんねえ。そして、ここを出たら、二度とここには戻って来るな」


えた(穢多)ひにん(非人)という呼び名が、公然とまかり通っていた時代の話です。江戸時代に制定されたその身分は、《士》《農工商》に次ぐ《えた・ひにん》という最下位の身分で、明治4年に明治政府によってその身分制度は廃止されていたのですが、明治後期になってもその差別だけは厳然と残り続けていたのです。


師範学校を出て教師となった瀬川は、信州の地で小学校の教師として赴任しますが、下宿先でさっそく《部落》出身の人間がその出自がバレてひどい差別・虐待にあう光景を目にします。


一般の下宿に辟易した瀬川は、寺に下宿させてもらうことにします。そこで瀬川は、元は士族の出身である志保(石井杏奈さん)と惹かれ合うようになりますが、おたがいにその想いは心の奥に伏せていました。被差別部落出身の自分が士族の女性となんか・・・という気持ちが、瀬川にはありました。


被差別部落出身の活動家の猪子(眞島秀和さん)は、演説で差別のない男女平等な世の中を説きますが、軍国主義の政府寄りの人間たちに演説の妨害を受けます。


東京の学校を出て地元の信州に教師となって凱旋してきた勝野が、猪子を《あんな身分のやつ》と侮辱し、被差別部落出身者をあからさまに卑下することに耐えきれなくなった瀬川は、めずらしく声を荒げます。


「昼間からぜいたくな物を食べ、生徒には立派な兵隊になるように言い聞かせながら自分は決して戦地に行く気もないような人間に、清廉で平等な志を広めようと活動している猪子先生を非難する権利があるのか!」


とはいうものの、瀬川は猪子のように堂々と被差別部落出身であることを公言できずにいる自身に苦しんでいました。自分こそ誰も非難できないのではないか、と。


同僚教師の銀之助(矢本悠馬さん)に、瀬川はとうとう自身の出自を打ち明けます。校長にもそのことを打ち明けようとする瀬川を、銀之助は説得します。


「言えば教師をやめさせられてしまう。君を慕ってくれている生徒たちのためにも、わざわざ言うことはない。もし訊かれたなら、そのときには嘘をつくことなく言えばいいんだ。だから、いますぐ自分から言うなんてよしてくれ」


ですが、瀬川は思いつめた表情のままで・・・


「今日はちょっと先生の話を聞いて欲しい」


そして、瀬川の、人としての本当の授業が始まるのですが、もうね、涙、涙、涙で、嗚咽が出そうでした(TдT)


どうして人間は差別をするのだろう、序列を作るのだろう。この映画を観て、そんな思いに衝き動かされました。そして、江戸幕府が《えた・ひにん》という平民以下に属する身分を制定したわけを調べました。


すると、それはゾッとする理由でした。


つまりは、士族が《農工商》のいわゆる平民の人々からの怒りを買わないように、平民以下の身分を作ったようなのです。そうすることで、「あいつらよりは自分たちの方が上だ。マシだ」と、平民の怒りの矛先を逸らすことができるだろうと、幕府は考えたのです(それでも一揆などは起こりましたが)。


《えた・ひにん》の人々は、生きづらさから僻地な部落に集まるようになります。そういう人々にはまともな仕事はなく、そのためみんなが嫌がるような仕事でもやらざるをえなくなります。つまり、幕府にとってみれば、何もかもが好都合なわけです。


《えた・ひにん》は幕府が作ったスケープゴートであり、政府が意図的に悪者を作って怒りの矛先を逸らすのは、現代でも他国を悪者にして愛国精神を植え付けている図が、各国で見受けられますよね。残念なことですが。


瀬川は、正々堂々と生きることを決めます。どんなに苦労をしても、どこかに自分を認めてくれる人はいるはずだから、決して諦めずにやりつづけます、と。


貧しくとも、清廉であろう。物質的な豊かさより、精神的な豊かさを得る方が、人としてしあわせな生き方だ。決然とした瀬川の後ろ姿に、多くを教えられた気がしました。


部落差別の愚かさは『福田村事件』(2023年)でも観て取れます。『破戒』と合わせて、オススメしておきます。

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