大反響!もちもち焼きエノキ2018年06月06日 13:37

最近、連日ご提供しており、リピートも増えてきた、お店の一押し料理はというと・・・


    もちもち焼きエノキ 230円


反響がすごくて、食べた人は必ずといっていいほど「うまっ!(・o・)」って言ってくれます。

まだ食べてない人は、ぜひご注文ください(^o^)


私事ですが、定休日の昨日はサクサクママと鎌倉に行って来ました。

鎌倉から江ノ電に乗り、下車したのは長谷駅で、目的地はというと、アジサイで有名な・・・


         長谷寺です。


 高台にある長谷寺からは由比ガ浜が望めます。


肝心のアジサイはまだ3割ほどの開花でしたが、長谷寺はいろいろ見ごたえがあるいいお寺さんでした(^-^)


 今回はこのルートで散策してみました。


長谷駅 → 長谷寺 → 御霊神社 → 成就院 → 極楽寺 → 極楽寺駅


   御霊神社そばを走る江ノ電を激写!



       成就院のアジサイ


お寺の境内でダンゴを食べたり、おいしいパンを食べ歩きしたり、帰りの鎌倉から東京までの電車はグリーン車に乗って、車内でビール&駅弁を食べ、そのあとは新橋でシメのそばを食べました・・・って、食べてばっかりですね(笑)


夜は仲良しのお客さんのKさんと飲みに出かけてと、楽しい1日だったのですが、飲んで帰って来て、自分のお店のカウンターに座ったら、あっという間にそこで眠ってしまい、起きたら夜中の3時半でした(カウンターで約4時間半ほど爆酔)(>_<)

翌朝、サクサクママから「(お店のカウンターで)気持ちよさそうに眠ってたから起こさなかったのよ」と言われました(^_^;)


最後に鎌倉にまつわる雑学をひとつだけ。

《釘をさす》という言葉があります。これは相手に念押しするときに使う言葉ですが、この由来はというと、

昔の日本建築は釘を使わないことが特徴だったのですが、鎌倉時代から「念のためにと」釘を打ち付けるようになったそうです。これが転じて、《釘をさす》という言葉が生まれたんですって。

日本建築で釘を使うようになったのは鎌倉時代から。

はい。これ、試験に出るから覚えておくように!

「何の試験だよっ!ヽ(#`Д´#)ノ」(←アナタのツッコミ)

ニラもやし塩ダレ炒め2018年06月04日 11:47

本日の日替わり料理は・・・


    ニラもやし塩ダレ炒め 250円


通年安くて庶民の味方のもやしくんと、このごろ急に価格が下がってきたスタミナ野菜のニラくんのタッグです。塩ダレで炒めています。



さっそく雑談です。

先月の28日のロイター発信のニュースですが、

ペルーのナスカ地上絵近くの沿岸砂漠地帯をドローンで調査したところ、新たに25以上の地上絵が見つかったんですって(・o・)

ナスカの地上絵と言えば・・・


    こういう複雑な図柄が有名ですが、


当然、こんな模様が自然とできるわけがなく、古代人が書いたのか、それとも宇宙人が書いたのか・・・

そもそも、何のためにこんな模様を書いたのか・・・

いろいろ研究されているようですが、

新たに発見された地上絵を見ると・・・


   こ、子供の落書き・・・?(@_@;)


自分も幼稚園の頃、画用紙にこんな絵を描いたような・・・と思ってしまうようなタッチの絵ですよね(^^;)

この他にも稚拙なタッチの地上絵と言えば・・・


     こういうのもあります。


左の宇宙人っぽいのはともかく、右の小動物らしきものはいかにも幼稚園児の絵そのものではないですかぁ(*´艸`*)

他には、これなんかも・・・


  作・もも組サクサクくんみたいな絵(笑)


斜面に描かれたこれ↓にいたっては・・・




たぶん・・・


これ(ガチャピン)の模写ですよね(*´∀`*)


ってことで、

考古学者サクサク・ジョーンズ博士の推論としては・・・

ナスカの地上絵は4~6歳の子供のしわざ!

昔の幼児は、身長が30メートルぐらいあったと思われる!

ということで、どうですか?(^_-)-☆

わかめ入りチョレギサラダ2018年06月03日 12:52

本日の日替わり料理は・・・


 チョレギサラダ(ワカメ入り) 230円


ごま油の効いたグリーンサラダです(^^)

あと、土日祝の限定メニューのこれも当然やってます♪


   キムチーズ豚ッカルビ 650円


昨夜はうちの子供たちの夕飯も、これ↑にしました(*^_^*)


突然ですが、F1好きですか? ぼくは彼がいた時代のF1は一生懸命観てました。その彼とは・・・

アイルトン・セナ

言わずと知れたF1界のレジェンドです。そのセナのドキュメンタリー映画を観ました。


 『アイルトン・セナ ー音速の彼方へー』


計3度のワールドチャンピオンになり、獲得したポール・ポジションの数や、その神がかった走りなど、セナに関する伝説は枚挙にいとまがありませんが、

チームメイトだった時期もあるけど、そのときも、チームが別々になってからも、サーキットでも、サーキット外でも激しく争った・・・


 アラン・プロスト(右がプロスト。左はセナ)

や、

マンセルやシューマッハとも、やはりサーキットの内外問わず、激しくやりあっていたセナ・・・。


    中央がマンセル。右がシューマッハ。


このドキュメンタリー映画を観ると、セナがとても繊細で、神経質で、そして人一倍勝ちにこだわっていたことがわかります。

《重要なのは勝つこと。それ以外は、全て結果でしかない》

この有名なセナの言葉でも、彼にとっては勝ちにこだわることこそが人生そのものだったように思います。

1994年のサンマリノGP。タンブレロ・コーナーと呼ばれるカーブで、セナは外壁に激突して死亡します。

セナの言葉には、こういうのもあります。

《もし、死が自分をこの世から連れ去ろうとするなら、カーブの途中で力の限り連れ去って欲しい》

この言葉どおりの死に方になってしまったわけですが、セナは中途半端なレースをすることが許せない人でした。

映画の終盤、生前のセナにこんな質問が投げかけられました。

「いままであなたが戦ってきて、もっとも満足感が得られた対戦相手は誰ですか?」

語り草となっているプロストとの因縁がありますから、

〈なんだかんだ言ってもプロストなのかな? いや、意外とあのマンセルの荒っぽさが好きだったのかも、それともシューマッハの才能を認めていたのかな・・・?〉

そんなことを思いつつ、セナの回答を期待したら、でてきた言葉は、

「カート時代の先輩レーサーだ。彼は経験豊富で、真剣で、彼との戦いは純粋なレースだった。そこには金も政治も関与していなかった」

そんな肩透かしな回答に、

「誰やねん、それ!ヽ(`Д´)ノ

思わず、ツッコンでしまいました(-_-;)


  F1に入るずっと前のカート時代のセナ


そこには金も政治も関与していなかった

巨額な金が介在するF1。やはり、純粋なカーレースだけでの勝負というわけにはいかないのが現実のようです。

金と政治の関与・・・。

ずっと物議をかもしつづけている《かけもり問題》もそうですよね(-_-;)

《かけもり問題》と言っても・・・

「セットのお蕎麦は《かけ》か《もり》か選べますけど、どちらにします?」

「う~ん、どちらにするか、難しい問題だなぁ・・・」

これではないですからね(*´艸`*)

ねばねば4兄弟2018年06月01日 12:42

当店のレギュラーメニューに、


    ねばねば3兄弟 250円


というのがあります。

これは、納豆+めかぶ+茎わかめで3兄弟なのですが、

季節の変わり目で疲れが出てくるこの時期だからこそ、

この3兄弟に、長いものすりおろしを加えたねばねば4兄弟をお値段はそのままに250円でご提供します\(^o^)/

ねばねばぬるぬるしたものには滋養があり、精力がつきますからね。この時期におすすめなんです(^-^)

長いもが苦手な方は、3兄弟をどうぞです(*´ω`*)

あと、


  大根とひき肉の八丁味噌炒め 230円


お酒のつまみにも、ご飯のおかずにもオススメなこれもご用意していますよ(^o^)


えっと、

昨日ラジオで聞いた話なのですが、その日のテーマは「コンビニでの出来事」で、


「コンビニでいつも『おつかれさま♪』とか、『今日もがんばってくださいね♪』と笑顔で言ってくれる女性がいるのですが、ぼくに気があるのでしょうか? 告白した方がいいでしょうか?


みたいなメールに、2000通もの返信メールが番組に届き、そのどれもが、

「あなたの勘違いです。やめておいた方がいいです」

「ただよく気がきく店員さんなだけです。あなた以外の人にも同様にしているはずです」

「告白したら、もう2度とそのコンビニには行けなくなりますよ。同じ経験をしたことがある者です」

・・・みたいなリスナーの声が届いたりして、聞いていてなかなかに興味深かったのですが、

番組の最後に、コンビニの店員の女性からのこんなメールが読まれました。


「中年のおじさんのお客さんが風邪薬を買いに来たので、『風邪ですか? 早く治してくださいね』と声をかけたら、そのおじさん、突然泣き出したんです。びっくりしました」


このメール聞いてね、ぼく、うっすら涙ぐみそうになったんです。

勝手に想像してしまったんですけど、そのおじさんはたぶん50~60歳ぐらいで、風邪なのに自分で風邪薬を買いに来ていることから察するに、独身か、単身赴任者なのです。

で、体調も悪く、そんな自分を看病してくれる者はおらず、寂しく気弱になっているところに、思いがけず、店員さんからやさしい言葉をかけられたものだから、

なんかね、

もうね、

たまらず泣けてきてしまったんだと思うんです。

店員さんの思いやりが、そのおじさんのピンと張り詰めていた心の琴線に触れてしまったのでしょう。


        こんな感じか?


ぼくもね、

レジでやさしい声をかけられたら泣いてしまうかもしれません。そして泣きながら・・・


ぼく「やさしい言葉ありがとうございます。お、お釣りはとっておいてください(ノдヽ)

店員「あの~、とっておくもなにも、足りてませんけど(*´Д`*)


  思わずマスオさん化するぼく(笑)


こんなことにならないためにも、レジでは涙ぐまないようにしたいと思います(*´ω`*)

『スタンド・バイ・ミー』2018年05月28日 13:21

本日の日替わりを2品、紹介します。


     なすピーマン焼き 230円


  トマトと玉子のオイスター炒め 250円



ここからはサクサクマスターのぼくが映画を紹介する『サクシネマ』なのですが、

みんな一度は観たことがあるに違いない名画・・・


     『スタンド・バイ・ミー』
役名で左からゴーディ、クリス、テディ、バーン


この映画を最近再鑑賞しました。じつはぼくは、この映画を観るのはこれで8回目です。

公開当時も映画館で観ましたし、そのあとはテレビだったりビデオだったりで何度も観たので、セリフもだいたい覚えてしまっているほどです。

この映画は、ぼくにとってはちょっと特別な映画なのですが、どうして特別なのかはお店に来てぼくに訊いてください(笑)


 ぼくは昔、このモノクロの写真の切り抜きを、
  部屋の壁に飾っていました。懐かしい~(*´ー`)


物語のあらすじは、もう知っていると思いますが、

片田舎の小さな町に住む同い年の少年4人が、町から30キロほど先にある死体を探しに行く・・・という、ノスタルジック・ロード・ムービーです。

この映画はスティーブン・キングの『THE BODY』(死体)というタイトルの小説が原作ですが、映画のエンディングで流れる・・・


  ベン・E・キングの『STAND BY ME』が


この映画のタイトルにぴったりだということで、そうなったそうです。

ベン・E・キングの『STAND BY ME』の歌詞は、


どんなに恐ろしいときでも、どんなに悲しいときでも、ぼくは君がそばにいてくれればだいじょうぶなんだ。
逆に、君に困ったことがあったなら、ぼくのそばにおいで。ぼくのそばにいておくれ。


ざっとそういう内容の歌です。

英語的に言うと、《stand by me》は物理的な《ぼくのそばにいてくれ》という意味と、精神的な《ぼくの味方でいてほしい》や《心の中にはいつも君がそばにいる》という意味があります。

ちなみに《いっしょにいて》は《stay with me》ですし、《ぼくの味方でいて》は《stay by my side》です。その両方の意味が《stand by me》にはあるのです。


映画は12歳の少年4人が、同じ冒険をし、稀有な時間を共有し、それは忘れられない思い出となり、そしてたった2日の出来事なのに、この経験でいつしか4人が成長している様を描いています。


 川を越えるのに橋を渡ると遠回りだからと、
  線路の上を歩いて死にそうになったり・・・


 夜は火をおこしてそれでマシュマロを焼いたりしながら、
  テレビ番組の女性の胸が最近デカくなったとか・・・


 「グーフィーって何だ?」
 「犬だろ」
 「犬じゃないよ。犬が車の運転するか?」
 こんなどうでもいい話をしたり・・・


そんななか、クラス1の不良扱いのクリスが、ゴーディにこんな打ち明け話をします。

「俺がクラスのミルク代を盗んだの知ってるだろ?

「知ってる。あれは本当に君が盗ったのかい?」

「ああ。盗ったよ。だけどあとで先生に返したんだ。だけど、ミルク代は盗まれたままで、その翌週、なぜか先生が新しい洋服を着ていたんだ」

「先生がミルク代を盗ったんだな!」

「だとしてもだ、だれが不良の俺の言うことなんか信じると思う? まさか先生がそんなことするなんて思わなかったよ・・・。もう・・・、どこかに行ってしまいたいよ。俺のことを誰も知らないところへ・・・」


いつも強気なクリス(左)が、
親友のゴーディ(右)へ泣きながら打ち明けるシーン


ここは、何度観ても胸がしめつけられます(ノдヽ)

翌朝、

ゴーディはひとりでいるときに、


       鹿と遭遇します。


ちょっとの間、無言で鹿と対峙し、そして鹿はどこかに行ってしまいます。

ですが、ゴーディはこのときの出来事に何か言い知れない《特別》を感じ、ここで鹿と出会ったことは仲間にも誰にも言わずに、自分だけの秘密にします。

そのあと4人は、目的地の森の中で・・・


 「あそこだ!」(バーンが死体を見つけます)


光を放つことのなくなった死体を目の当たりにし、そして4人は・・・。

12歳の少年が葬式でもない場所で見た、数日前まではたしかに生きていた知人の死体・・・。それは《死》は遠いところにあるものではなく、つねに自分たちにもつかず離れずにより添っているものだと、教えてくれたのかもしれません。

だからこそ、4人はこの小さな旅で成長したのでしょう。そのことは大人になったゴーディが回顧で語る、

「あれの前と後では、何もかもが違って見えた」

という言葉でもわかります。

とくにゴーディは、まぶしいほどの鹿の《生》と、色を失った知人の《死》を、時間をおかずに見たので、なおさらだったと思います。

少年時代の思い出・・・

少年時代の仲間・・・

それは少年時代だけに得ることができる《永遠の宝物》で、そのときにその宝物を得られないまま大人になった人間は、どんなに大きく緻密なジクソーパズルを完成させても、よく見ると、ところどころピースが欠けているような、そんな喪失感を覚えるのではないか・・・と感じます。そして、その欠けているピースは、大人になってからでは、もう埋めることはできないのです。


少年時代にかぎらず、いましかできないこと、やっておくべきことは、どんな年齢になってもあると思うので、

毎日、その日はもう二度と戻っては来ないことを意識して、日々がんばったり、笑ったり、泣いたり、ときにはちょっと怒ったりもしながら、自分だけの《宝物》を増やしていきたいと思います(*´ω`*)

最後に、

グーフィーはたしかに普通の犬とはちょっと違うと、ぼくは思います。

だって、ただの犬だったら・・・


 こんなふうにプルートを散歩させてるのは
     おかしいと思いませんか?(*´艸`*)


プルートは裸で、グーフィーは服を着ていて、プルートはミッキーのペットで、グーフィーはミッキーの友達・・・って、デ○ズニーのキャラ設定のラインが謎です(@_@;)