ねばねば5兄弟 ― 2020年01月17日 13:48
当店のレギュラーメニューに、
ねばねば3兄弟 250円
というのがあります。
これは、納豆+めかぶ+茎わかめで3兄弟なのですが、本日はこれに・・・
とろろ(長いものすりおろし)と、
きざみオクラを加えた・・・
ねばねば5兄弟を280円でご提供します\(^o^)/
ねばねば成分で滋養がつくうえに、3兄弟から2兄弟プラスで30円しか値段が変わらないって、もう5兄弟注文するっきゃないでしょ♪
ここからは『サクシネマ』です。
この映画を観て、インディアン・・・というか、ネイティブ・アメリカン(アメリカ先住民族)のことを、あらためて調べるきっかけになりました。
『ジェロニモ』(1993年)
ジェロニモ・・・。
その名は知っていても、詳しくは知らないという人が多いのではないでしょうか? そして、ネイティブ・アメリカンのことも、詳しく知っている人は、思いのほか多くないと思います。
ぼくもそうでした。で、この映画を観て、調べたんです。今回は、その調べたことをちょっとご報告します。
まず、どうしてネイティブ・アメリカンのことを《インディアン(インド人)》と呼んだのかといいますと、1492年にコロンブスがカリブ海諸島に到着したときに、そこをインド周辺の島々だと勘違いしたからです。
コロンブスが新大陸(アメリカ)を発見した当時、ネイティブたちは《大地はだれの物でもない》と考えており、《土地がだれかの所有物》という概念が希薄でした。そんなネイティブたちを見たコロンブスはこう思い、日記に記したそうです。
《彼らは理想的な奴隷となるだろう》
入植したコロンブスの軍勢は5万人のネイティブを虐殺し、
生き残った者は奴隷としてスペインへと送りました(lll ̄□ ̄)
多くの民族、それぞれの言語で、テリトリーを分けて平和に暮らしていたネィティブたちは、先進的な武器を持って乗り込んできた白人たち(イギリス人入植者)に蹂躙されてしまいます。
人口は激減し、生き残ったネィティブたちも奴隷として売り買いされるようになり、土地は奪い取られ、追いやられ・・・と、先住民族であるにも関わらず、後からきた《力のあるよそ者》に迫害されつづけてきたネィティブたち・・・。
1830年になると、ジャクソン大統領が『強制移住法』を制定し、5万人のネィティブをミシシッピ川以西に、文字通り《力づく》で移住させました。
この際、12000人のチェロキー族は、冬空の下、5ヶ月をかけて1000キロの行程を歩かされ、寒さ、飢え、病、暴行によって、8000人もの命が失われ、これは『涙の旅路』と呼ばれています。
強制移住の結果、肥沃なミシシッピ以東の土地は完全に白人化したうえ、むりやり移住させたネィティブたちの居留地内に金鉱などの資源が見つかると、そこに白人が殺到し、鉄道敷設などを口実にネィティブをまたもや移動させ・・・と、もうやりたい放題の白人たち!ヽ(#`Д´#)ノ
ここまでくると、ネィティブたちの中にも堪忍袋の緒が切れて、武器を取って戦う者が増えだし、《生きるために》白人の駅馬車や汽車を襲撃したり・・・という状況になりました。
ハリウッドで製作されていた初期の西部劇は、このときの状況を《正義の騎兵隊 VS 野蛮で残忍なネィティブ》という図式で描きつづけ、ネィティブを悪者化して世界に広めました。
子供のころのぼくもそう思っていました。ですが、もうおわかりのとおり、野蛮で残忍だったのは白人の方であり、ネィティブは侵略者からのさらなる暴挙に抗って、生きるために戦っていたにすぎないのです。
白人に対するネィティブの襲撃が増えると、政府は大規模な騎兵隊を派遣してその討伐にあたるようになります。
この時代の、こういう背景で現われた英雄が、この映画の主人公のジェロニモです。
アメリカとメキシコ国境近くに生まれ育ったジェロニモは、母や妻子をメキシコの騎兵隊に惨殺されたあげく、その後も、彼らアパッチ族の命に賞金を賭けるという非道な政策に激怒し、白人に対して略奪と復讐を繰り返します。
映画では、白人にも平等と正義の心を持った者がいたことや、そういう白人とジェロニモの心の交流とか、アメリカ政府の無慈悲と裏切り行為とか、ジェロニモにまつわるいろいろが描かれています。
ネィティブたちにまつわる歴史的背景や、その悲しみを想像しながらこの映画を観ると、また違った感想や感慨を覚えるのではないでしょうか(*´ー`)
ジェロニモさん。