春菊と長ネギのチヂミ2016年12月18日 11:49

今日は毎回好評で、常連のTMTMさんは、

「これ定番にしてよ♪」

と言うぐらいの人気の・・・


 春菊と長ネギのチヂミ(2切れ) 250円
 

ああ、春菊をチヂミにするとこんなにおいしいんだな、って思いますから(*´∀`*)


ここからは恒例の雑学タイムですが、

今日は江戸時代の学者・平賀源内の忌日『源内忌』です。

学者という呼称では片付かないぐらい、平賀源内はマルチな人でした。

《土用のうなぎ》を広めたことで有名で、日本最初のコピーライターと言われたりもしますが、

源内は《日本のダビンチ》とも言われるぐらいに多才で、日本で最初に西洋画を描いたのも源内であり、壊れていたエレキテルを復元させたり、浄瑠璃作家であり、『源内焼き』という陶磁器を作成したり、CMソングを作詞作曲したり、鉱山開発を行ったり・・・

と、

とにかくマルチに活躍した人だったのですが、

その平賀源内には、ちょっとオカルトチックな逸話があります(@_@;)

安永8年(1779年)のことです。源内は生涯最後の引越しをします。

そこは以前に切腹した人が住んでいた家で、そのあとに住んだ金貸しの盲目の検校(按摩)は悪事が露見して死罪となり(# ゚Д゚)

そのあと、その検校の子供が井戸に転落して死亡ヽ(#゚Д゚)ノ

そういう不吉な家はたいていの人は疎遠するため、その家は安く売り出されていたのですが、

源内は気にすることなく、その家を購入(-_-;)

そこから源内の人生は転落の一途をたどります。

前述したエレキテルを見世物にして金を稼ぐ源内を、人々は山師呼ばわりするようになり、浄瑠璃も弟子の作品が大当たりするのに、自分の新作は不評(>_<)

プライドが傷ついた源内は、うつ状態に( ̄□ ̄;)

その後、知り合いの息子が自分の原稿を盗み見たことで逆上し、その息子を斬殺(+д+)

源内は捕縛されて牢獄行きとなり、それからわずか1ヶ月後の今日12月18日に、破傷風にかかって獄死したのです(lll ̄□ ̄)

あの、不吉な家に住んで1年もしないうちの出来事でした・・・。

〈あの家さえ買わなければ・・・〉

と、あの世で源内げんなりしたことでしょうね。

「下手なダジャレで、うまくしめたぜ・・・みたいな顔してるんじゃないよ!ヽ(#`Д´#)ノ」(←アナタの心の声)