なすピーマン焼き ― 2019年07月20日 13:00
本日の日替わり料理は、《なすぴー》の略称でお馴染みの・・・
なすピーマン焼き 230円
それと、みょうがが効いた自家製お漬物の・・・
キャベツときゅうりの香味漬け 230円
この他にも、あれこれご用意して皆様のご来店をお待ちしております♪
以前にもご紹介したのですが、なすびと言えばこの絵本を思い出さずにはいれません。
『小学生のボクは鬼のようなお母さんに
ナスビを売らされました』
なんだ? このホラータッチな絵とタイトルは??(@_@;)
〈こんな怖い本読んだら、キッズは泣き出しちゃうんじゃないの!?〉
そう思いつつ、手に取り、ページをめくって読み出すと・・・
数分後には静かに涙していました(TдT)
簡単にあらすじをご紹介します。
まずこのお話は実話です。少年は1972年生まれ、お母さんが40歳のときの、当時としては高齢出産で生まれた子供でした。
家はなすび農家で貧しく、毎日の食卓やお弁当はなすびざんまいで、
そのため少年はなすびが嫌いでした。
ですが、少年は明るくやさしい両親と、自分の家が大好きでした。ところが・・・
少年が10歳のときにやさしかった母親が《鬼》に豹変します。近くの団地に毎日連れて行かれ、売れ残ったなすを100円で売ってきなさいと、それはそれは恐ろしい形相で言うようになったのです。
なすびが売れないと、母親は少年を大声で叱りつけました。
「ちゃんと大きな声をだしたんか?」
「元気で明るく売らなアカンよ!」と。
そのときの母親は、少年にはまさに鬼のように見えました。
少年は大きな声で明るくなすびを売るようにしました。すると、ようやくなすびが売れるようになってきました。なすびがひとつ売れると、母親は10円をお駄賃としてくれました。
少年はだんだんなすび売りが楽しくなってきました。と同時に、お金を得ることの難しさと苦労もわかってきたのです。
ですが、そのなすび売りは1ヶ月で終わってしまいました。母親が入院することになったからです。
・・・・・・母親は白血病でした。
4年間の苦しい闘病生活の末、母親は他界しました。そのとき少年は14歳になっていました。
母親が亡くなってから、少年は母親が鬼になったほんとうの真実を知ります。母親は自分の命がもう長くないことを悟り、息子に生きていくための力を与えようとして、心を鬼にしてなすびを売らせていたのです。
少年がなすびを売っている間、母親はずっと車の中で泣いていたことを、少年は父親から聞き知ります。
「私はいまではなすびが大好きです」
これはのちに出版社の社長となった筆者のことばです。筆者はあのときのなすび売りのおかげで、どんな苦しい場面でもがまんして乗り越えていけるようになった、と言います。
筆者の原田剛さん。
ぼくもふたりの子供の父親です。ぼくは子供たちに何を残してやれるのか、それは《物》ではなく、この少年の母親のように《心》でなければ・・・としみじみ思いました。
みなさんも、YouTubeや、Webで検索してみてください。
あ、ハンカチはお忘れなくですよ(*´Д`*)