かつおとごぼうの炊き合わせ ― 2021年06月23日 14:31
本日より、約2カ月ぶりの店内営業再開です!ヽ(=´▽`=)ノ
テイクアウトはやっていたのですが、店内(イート・イン)のお客様とは、しばらく顔を合わせていなかったので、今からワクワクしています(*´ω`*)
ということで、
いつものように、久々の本日の日替わり料理は・・・
かつおとごぼうの炊き合わせ 280円
もろきゅう・・・ではなく、
味噌かぶ 150円
ししとう串 1本 110円
2本だと200円
この他にも日替わり料理ありますし、もちろんレギュラー・メニューもばっちりご用意して、皆様のご来店をお待ちしております♪
これまた久しぶりの『サクシネマ』なのですが、
この映画は、おもしろいかおもしろくないかの二択だとどっちにするか迷うのですが、ちょっとぼく的に印象的なシーンがあったのでご紹介したいと思います。
『プロミスト・ランド』(2012年)
エネルギー総合企業のグローバル社に勤めるスティーブ(マット・デイモン)はシェールガスの採掘権を買い取る営業マンで、成績がずば抜けて優秀なため、近い将来の幹部候補たる存在でした。
スティーブの仕事はというと、良質なシェールガスの埋蔵が見込まれている田舎の地に出向き、地主たちに交渉してその採掘権を獲得することです。
農家や牧場主などの広大な土地を持つ田舎の地主は、所有するその土地の広さのわりには生活は豊かではなく、豊かどころか、様々なローンや子供たちへの学費などに困窮している世帯がほとんどでした。
「あなたの土地の採掘権を売ってくれさえすれば、何もしなくても〇△ぐらいのお金が毎月ずっと入ってきます、そうすればいまあなたが抱えてる金銭的な問題はすべて解決しますよね、どうですか、契約書にサインしてくれませんか?」
その町の町長にではなく、こんな感じで地主を一軒一軒ローラー作戦で買収していくのがスティーブのやり方で、それはいままで見事なぐらいに功を奏していました。というのも、スティーブ自身も田舎で困窮に喘いで育っており、そのときの経験から安定した金銭の提供はお互いにとってウィンウィンであるという信念を持っていたからです。
狙いを定めた田舎町に滞在し、自身もあなたたちと同じような境遇の出身なんだ、だから気持ちがよくわかるんだ・・・的な雰囲気をかもしながら、地元の人々と懇意になりつつ、数日をかけて交渉をつづけていくスティーブ。
最初のうちはそれはいつものようにいい感じで進んでいたのですが、町民への説明会の際に、高校教師をしている老人からグローバル社の採掘法のリスクを指摘されてから、雲行きが怪しくなっていきます。
「町が汚染されてしまう可能性が
高いんじゃないのかね」
結局、住民投票を行うことになってしまったのですが、スティーブは地主たちさえ取り込めばなんとかなると高をくくっていました。
ですが、ちょっと《こういうこと》に詳しいだけのただの老人だと思っていたその人物は、高校教師は老後の趣味でやっているだけで、もともとは工学修士を取得し、その道の研究員として32年間生きてきた化学エリートだったことがわかります。
さらに悪いことには、環境保護団体のメンバーであるというダスティンという男が突然現れ、
「自分の故郷は、グローバル社によって汚染されてひどいことになった」
と住民に訴え、スティーブよりも住民に溶け込んでいきます。そのために、スティーブを敵視する住民が増えだします。
グローバル社を非難する看板を
町中に立てだすダスティン。
さて、このあとどうなっていくのでしょうか・・・なのですが、大事なことは、スティーブは住民をダマしてまで自分が出世するとかは思ってないということです。スティーブは前述したように、たしかにリスクはゼロじゃないにしても、住民も会社も自分もみんなにメリットがあると信じて動いていたのです。
このあと、驚くべき真相が発覚し・・・
スティーブは住民投票前の演説で、
こちらも驚くべき発言をします。
この《驚くべき》は何なのかは、ぜひ映画を観てもらいたいので書きませんが、最初に記述した《ぼく的に印象的なシーン》というのはここで紹介させてください。
それは、住民にとっては貧困こそ悪で、それを解消するためにはお金が必要で、そのお金は多ければ多いほどいいに違いないと思っていたスティーブが、住民への演説会場でレモネードを売っていた少女に多めにお金を渡し、「お釣りはあげるよ」と言ったら・・・
「25セントって書いてあるでしょ。
だからそれ以上はいらないわ」
そう言って、お釣りを返されるシーンなのです。このときのスティーブのハッとした表情が、この映画のというより、人生とお金のバランスのすべてを物語っているように、ぼくには思えたのです。
誰でもお金はたくさん欲しいと思います。お金はいくらあってもじゃまにはならないからです。ですが、自分の人生にとって本当に必要な額以上のお金を得るということは、その代償としていろんなものを失っていることに気がつかなくてはなりません。この映画で言えば、その代償はいまある豊かな自然ですし、ある人にしてみれば大事な人と過ごすための時間であったり、健康であったり、その他様々でしょう。
お金さえもらえれば、ま、いっか・・・ではないのです。お金と引き換えに生きがいや尊厳や意欲を奪ってはいけないし、お金を享受する側も、それに溺れては取り返しのつかないことになるのです。
現状にあてはめると、コロナ禍における政府の対応と、それを受ける側の国民・・・。一番大事なものは何なのかを深慮して行動しなくてはいけない、そういう状況、そういう時代になっているのだと再認識させられた映画でした。