3色そぼろ丼2021年06月30日 12:51




本日の日替わり料理は・・・


3色そぼろ丼 600円

それと、本日から数日間ご提供予定の・・・


5種薬味やっこ 280円
(みょうが、大葉、万能ねぎ、
 しょうが、かいわれ


この他にも、初登場の料理などもご用意して、皆様のご来店をお待ちしております\(^o^)/



ここからは『サクシネマ』ですが、

ある日突然、聴力に異変を感じ、徐々に聞こえなくなっていく・・・。今回紹介するのは、その不安と恐怖、そして真のしあわせについて考えさせられる映画です。


『サウンド・オブ・メタル 
 〜聞こえるということ〜』(2019年)


メタルバンドのドラマーであるルーベンは、


ボーカルで恋人のルーと、


このトレーラーハウスで暮らしながら、


あちこちのライブハウスに参加しては、その日暮らしの生活をしていました。


財産といえばこのトレーラーハウスだけの、正直貧しい生活ではあるものの、愛し合っている者同士が好きな音楽をして暮らしているわけですから、それなりにしあわせにやっているつもりでした。


ですが、ルーの手首には幾筋もの《ためらい傷》があり、その傷跡は癒えると痒みをともない、無意識に手首をボリボリ掻いてしまうルー。彼女は、やはり先の見えない余裕のない生活に疲弊してもいたのです。


ある日、ルーベンは突如として難聴になります。うっすらとしか聞こえない状態で、言葉もほとんど聞き取れません。


「何も聞こえないんだ」と、
 ルーにうったえては狼狽するルーベン。


医者に診療してもらうと、メタルバンドという大音量にさらされることの蓄積が原因でした。


この時点で、映画タイトルの『サウンド・オブ・メタル』ということからも、ああ、これは、難聴を克服してドラマーとして復活する的な話だろうな・・・と思ったら、そうではないんです。『サウンド・オブ・メタル』のメタルの意味は後述しますが、


医者が言うのは大音量にさらされるような生活はやめて、いま残っている聴力を大事にした方がいいということでした。失った聴力は戻ってきませんし、いまと同じ生活をしていると、ますます聞こえなくなるといいます。


内耳インプラントをすれば聴力は復活しますが、その手術は高額で(日本円で400万~700万もします)保険適用もされず、たとえその手術を受けたとしても、いまと同じことをしていれば、ますます聴力は悪化していくのです。


ルーとも話し合った結果、ふたりは《ろう者》の支援グループを訪ねます。


「ここは聴覚障害者のコミュニティだ。
 解決する問題は頭であり、耳ではない」


グループのリーダーのジョーはそう言いました。つまり、聞こえないことを受け入れて、そのなかでどうやって前向きに生きていくかが大事だというのです。


そのためには、このグループで共同生活をして意識を変える必要がある。トレーラーハウスに戻るのもいけないし、恋人のルーともいったん離れないといけない。


ジョーのその申し出に、ルーベンは即座に反発しましたが、ルーはそうすべきよと肯定し、自身は父親の住む家に戻ることにします。


ルーベンはグループのメンバーに紹介され、


手話を覚え、


子供たちとも馴染み、


同様の障害を持つ者たち同士だから、耳が聞こえないことがコンプレックスにならない生活のなか、ルーベンは穏やかな気持ちを取り戻します。


そんなルーベンにジョーは、ここでずっといっしょに暮さないかという提案をします。


ここでの生活は思っていたより楽しかったルーベンですが、毎日毎日刺激のない生活を送ることはルーベンには耐えがたく、そう思うともういてもたってもいれなくなり、トレーラーハウスを金に換えて、ルーベンは内耳インプラントの手術を受けることにします。


術後、たしかに聴覚は戻るのですが、


人工的な内耳のため、いままでとは聞こえ方が違いました。金属(メタル)質なキンキンとした、なんとも頭にいやな感じに響く聞こえ方なのです。そうです。『サウンド・オブ・メタル』とは、この金属的な音のことを意味しているのです。


とはいえ、聴力を取り戻したルーベンは、久しぶりにルーに会いに行きます。ルーは変わることなくルーベンを愛してくれましたが、自分と離れて暮らしていたルーの顔はなんとも穏やかで、ルーベンは自身がルーにとってプラスな存在でなかったことを自覚させられます。


ルーとまた元の生活に戻りたいと思っていたのもそれはルーのためではなく、こだわって取り戻した聴力もキンキンと耳障りなばかりだし、ルーベンは金属的に聞こえる街の喧騒にうんざりしながら、


茫然自失となり、
 人工内耳をはずしては・・・


無音な静寂の世界に身をゆだねます。


ルーベンは何を思い、今後どう生きていくのでしょう・・・。


元の生活(状態)に戻れることを願い、努力することはいいことですが、そのために苛立ち、不平不満を口走り、元通りにならないことに茫然自失となっていては明るい未来はないのだと、この映画を観て思いました。


そう。コロナ禍のことも同様です。こうなってしまったら、まったく元通りの生活には戻れないかもしれません。そのときの覚悟を決め、そのなかでも前向きに暮らしていく方法を見つけなくてはいけない、そういう時代が来たのかもしれません。


いろいろ考えさせられる映画でした。Amazonプライムビデオで観れるので、よかったらご覧ください(●^o^●)