豊臣秀吉のあだ名ですが・・・ ― 2017年01月14日 13:25
これが大人気で、これをやるときはお知らせして欲しいというお客様がけっこういらっしゃるので、今日やりますよ♪ってことで、
春菊と長ネギのチヂミ(2切れ) 250円
今日から上映になるのですが、
『本能寺ホテル』
主人公の綾瀬はるかが『本能寺ホテル』という宿に宿泊したら、なんと、そこは戦国時代に繋がっており、織田信長と知り合いになり、そして信長に惹かれていくのですが、タイムスリップしたその日が『本能寺の変』が起きる前日であることに気づいた主人公は・・・
ざっと、こういうストーリーなのですが、
歴史好きには興味深いですよね。
『本能寺の変』は主君である織田信長を明智光秀が裏切り、最期を悟った信長は本能寺に火をつけ切腹した・・・という出来事ですが、
信長の死体は見つかっていませんし、主犯は光秀ではなく、他に黒幕がいたとか、その後豊臣秀吉に討たれた光秀も、じつは死んでおらず、のちの天海が光秀だという伝説など、
まあ、いろいろと謎が多いのがこの『本能寺の変』なのです。
織田信長亡きあと、得をしたのは豊臣秀吉ですが、
織田信長は家臣である豊臣秀吉(木下藤吉郎)のことを《猿》と呼んでいたというのは有名ですよね。
でもこれは作り話で、
本当は《禿鼠(はげねずみ)と呼んでいたということです(@_@;)
豊臣秀吉を《猿》と呼んだふうになっているのは、江戸時代に書かれた伝記『太閤記』の影響で、
実際は、織田信長が豊臣秀吉を《猿》と呼んだことを記すものは残っておらず、《禿鼠》とは信長が秀吉の正室の寧(ねね)に宛てた手紙に残っているのです。
信長は家臣をひどいあだ名で呼ぶくせがあり、光秀も《きんかん(頭)》などと呼ばれ、人前で殴られたりしていたそうです。
そんなかなり横暴な感のある信長ですが、《歴史上の好きな人物は?》というアンケートをとると、毎回ぶっちぎりで1位になるのもまた信長で、
実際に会って見てみたい・・・と思う人も多いと思います。
そういう人こそ、『本能寺ホテル』を観に行ってはいかがでしょう?
そして観終わったら、咲々餃子で餃子を食べながら、映画の感想をぼくに聞かせてください(*´ω`*)