ごぼうと鶏肉のごま風味サラダ2020年08月14日 14:14

お盆期間中もいつもどおりに通常営業をしている咲々餃子ですが、

本日の日替わり料理は・・・


  ごぼうと鶏肉のごま風味サラダ 230円


    5種薬味やっこ 230円
 

などなど、この他にもいろいろご用意してまーす\(^o^)/



ここからは雑談なのですけど、

コロナウイルスが依然として猛威をふるっていますが、今回はウイルスにちなんだ仰天ニュースについて、つぶやかせてもらいます。

とあるラジオ番組で聞き知ったのですが、佐賀県に警察官を祀った神社があるそうです。


この増田神社には増田敬太郎という警察官が祀られています。

どういういきさつでそうなったかというと、

成績優秀、スポーツ万能、性格も申し分なしだった、いわゆる天童たる増田敬太郎は、何か人のためになる仕事がしたいという高潔な志を持って、1895年(明治28年)、25歳で警察官になります。




配属された佐賀県の入野村はコレラが大流行していて、村人を恐怖のどん底に落とし入れていました。

当時コレラはこの入野村だけではなく、全国に広まっていて、この年だけで全国で4万人がコレラで死亡していたほどでした。

警察学校で伝染病について学んでいた増田は、赴任してすぐに村人にこう言いました。

「伝染病の拡散を防ぐためには、感染者とそうでない者の接触を遮断することです。今後は私がコレラ患者に薬を届けますので、皆さんは決して接触しないでください。生水や生魚もダメです。口にしないでください」

増田は患者が出た家の消毒をし、その際の交通を遮断し、患者に薬を運び、死者が出れば遺体をむしろで巻いて背負い、2キロも離れた墓地まで運んで埋葬までもしたそうです。

三昼夜、不眠不休で働く増田に村人は、

「お巡りさんひとりにこんな危険な仕事させてしまって申し訳ない・・・」

ですが増田は村人に、

「好きでやってることです。気にしないでください」

ですが、赴任4日目で増田はコレラにかかってしまい、翌朝には亡くなってしまいました。25歳の若さで・・・。

増田は死の間際に、村人にこう言いました。

「コレラは私があの世に背負って行きますから、皆さんはどうか安心してください」

すると、どうでしょう。不思議なことに、増田の死と共にコレラは収束していったのです。

その後、住人は増田への感謝と敬意を込めて『増田神社』を建立しました。

たった4日しかその村と関わっていなかったにもかかわらず、神社を作り、現人神として祀るほどなのですから、いかに増田敬太郎の4日間の奮闘ぶりがすごかったのかが伝わりますよね。

見返りを求めない正義を胸に、覚悟を決めて行動する・・・。

コロナという見えない敵と闘っているいま、他人を中傷したり、冷たい視線で見たりせずに、自分がすべき最善を、押し付けるのではなく、ただ黙々とやりつづけるのが大事なのではないでしょうか。

とにかく、

おたがいに健康に留意して生活しましょう(^-^)