チャプチェ(韓国風春雨炒め)2019年05月18日 12:04

本日の日替わり料理はこれ↓です。


  チャプチェ(韓国風春雨炒め) 280円



そして、ここからは最近頻繁なのですが、今回も映画を紹介します。

これは、深く、せつなく、やるせなく、そして・・・きらめいている映画です。


     『ギルバート・グレイプ』


当時19歳だったレオナルド・ディカプリオが知的障害をもつアーニー役を演じ、その完璧な演技力に世界が脱帽したことで有名なこの映画のあらすじは・・・


ギルバート(ジョニー・デップ)は、生まれてからずっと、自分が生まれ育った田舎町から出たことがありませんでした。それにはいくつか理由があって、その第1の理由は、母親でした。


ギルバートの父親はある日突然首吊り自殺をして、この世からいなくなりました。そのショックで、母親は7年間も家から一歩も出たことがなく、町で一番の美人とすら言われていたのに、ストレスからの過食でいまは250キロの肥満になってしまい、家の中を歩くのですらやっとの状態なのです。

しかも、2つ目の理由として、

弟のアーニーは木や、登ってはいけないタンクなどの、高いところに登るのがクセの知的障害を持っています。


          アーニー


ギルバートには2人の姉妹がいて、その姉妹が母の面倒をみて、彼は町の食料品店で働いて家族を養っています。

そういう状況なので、日々暮らすだけで精一杯で、時間的にも経済的にも、町から出る余裕などないのです。


狭い世界のなかで、ただ暮すだけの日々を送っていたギルバートでしたが、トレーラーで移動しながらの生活をしているベッキー(ジュリエット・ルイス)と出会ったことで、彼の小さな世界に光が灯ります。


ベッキーとのささやかな時間を過ごすためには、しばらくの間、アーニーから目を離さなければならず、そんなときにアーニーはいままでに何度も登っては注意されていたタンクに登り、とうとう町の警察署に留置されてしまいます。


      ↑これがそのタンク


すると、

7年間、家から出なかった母親が、「アーニーを釈放してもらえるように警察署に乗り込む」と言い出し、みんなで直談判に行きます。


 直談判に成功し、アーニーを釈放してもらった
   ギルバート一家を待ち受けていたのは・・・


噂でしか見たことのなかった巨漢の母親を蔑視し、揶揄する住民たちの姿でした(lll ̄□ ̄)

ぼくの実家も田舎なのでよくわかるのですが、退屈な田舎では、いいことも悪いことも、みんな興味津々なのです。

こんなことや、この他にも気持ちが盛り下がり意気消沈するような出来事があったうえに、ベッキーが町を去ることになり、ギルバートの心は曇るばかり・・・。


これまでギルバートは母親をベッキーに紹介していませんでした。それは母親が太っている自分にコンプレックスがあり、他人と会うのを嫌がっていたためでしたが、ベッキーが最後にぜひ母親に会いたいというので、そのことを母親に話すと、最初こそ嫌がっていた母親でしたが、ギルバートがそんなにほめる子なら・・・と、ベッキーに会います。

そして母親は、ベッキーが心のきれいな女性だと初対面で感じ取ります。

このときの母親の心中は察するしかなく、それは観ている者の感性と想像力にゆだねられているのですが・・・

その晩、母親はいつもは1階のテレビの前のソファで眠っていたのを、数年ぶりに2階の自室へと、息も絶え絶えに階段を登って行き、倒れこむように自室のベッドに横になります。

家族のみんなはそんな母親の様子に驚き、

「どうしたの?」

と、ベッドに横たわる母親に声をかけます。

母親はギルバートにこう言います。

「お前は光り輝く甲冑(かっちゅう)を着た王子様よ。お前は光り輝いてる。まぶしく光り輝いてる」

どうしていきなりそんなことを言うのか不思議そうなギルバートでしたが、その後、数時間もしないうちに眠るように母親が死んでいるのを発見することになります。


母親は自己を犠牲にして自分や妹弟の面倒をみているギルバートに、感謝の言葉を伝えたかったのだろうし、自分のせいで子供たちの人生が不自由なままなのは、もう耐えられなかったのかもしれません。そのへんのところも、映画は何も語ってはくれず、それぞれが観て、感じるしかないのです。


父が死に、たったいま母も他界してしまい、名実ともに家長となったギルバートは、こう思います。

〈警察を呼んで検死をして、そうしたらクレーンで母親の遺体を下に下ろすことになる。見物人が大勢来て、また母親が皆の笑い物になる・・・〉

いや、笑い物にはさせない!

ギルバートはある決断をします。その決断、それを実行するシーンをぜひ観てもらいたいのです。

それは映画史に残る名シーンだと思います。

演技を高く評価されたのはディカプリオでしたが、デップの静かな演技にぼくは心を打たれました(T_T)



最後に、劇中の英会話でちょっと疑問に思ったことをひとつだけ書きます。

ベッキーが町を去ることをギルバートにこう告げます。

"I will be leaving tomorrow."(明日、出発するつもりよ)

これを聞いて、ぼくはこう思ったんです。

〈"I will leave tomorrow."じゃなく、be leavingと言うと、何か違うのかな?

すぐさまネットで調べてみました。すると、こうでした。

① I will leave tomorrow. 私は明日出発するつもりだ。

② I'm going to leave  tomorrow. 私は明日出発するつもりだ。
 
③ I'm leaving  tomorrow.  私は明日出発する。

④ I will be leaving tomorrow. 私は明日出発することになっている。

①と②は同じですよね。で、③は①②よりもっと確定的なニュアンスで、④は《そういうことになるだろう》みたいな感じなのかな?

どれも言っていることは同じなのですが、言い方というか、ニュアンスが違うようです。

実際に日常的に英語を使っていれば、このへんの微妙なニュアンスの違いがピンと来るのでしょうが・・・。


ということで、

字幕映画を観ながら、簡単な英会話を勉強しているサクサクマスターからは以上でーす(^_^)/~~~

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