ごぼうと三つ葉と鶏むね肉のゴマ風味サラダ2017年06月14日 12:21

今日の日替わり料理は、三つ葉のアクセントが利いているコレです。


  ごぼうと三つ葉と鶏むね肉の
         ゴマ風味サラダ 230円


あと、

今日は少しひんやりしてますので、


  なめことしめじのお味噌汁 200円


ダシの利いたお味噌汁をどうぞ♪

定食のスープをコレに変更する場合は、50円引きの150円で変更できます(^o^)


え~

プロレス好きの人はぜひで、そうでない人もできれば読んでもらいたいのですが、

昨日のことなんですけど、6月13日はプロレスラーの三沢光晴選手の忌日(2009年死去。享年46歳)でした。




今はもうそうでもないのですが、ぼくは以前プロレスが大好きでした。いろんな選手が好きでしたが、この三沢光晴という選手は、ぼくがもっとも好きだった選手です。

彼は三沢光晴という本名でプロレスをする前は2代目タイガーマスクでした。




7年間タイガーマスクとして闘ったのち、試合中にいきなりマスクを脱ぎ、その後は三沢光晴としてプロレス界の頂点に登りつめていくことになります。


 マスクを脱ぎ捨てたときの試合。
 ぼくはたまたまこの試合を会場で見ていました。


2009年、三沢光晴選手は試合中にリング上で死去します。ボロボロになっていた体を酷使し、無理をして試合に臨んだ結果のことでした。

三沢光晴さんの訃報を聞いたときのショックは、いまでも忘れません。自分の青春の一片を彩っていたヒーローが、46歳という若さで亡くなってしまったことの喪失感は、あまりに大きかったのを覚えています。


この三沢光晴選手は、人間性が素晴らしく、情に厚く、ユーモアがあり、誰からも慕われ、信頼されていました。そして、なにより器が大きいというか、人としてのスケールが大きかったといいます。

そのスケールの大きさというか、三沢選手の天然さというかを物語るエピソードをご紹介します。

三沢光晴選手は我が草加市の隣の越谷市の出身なのですが、越谷のとある書店で三沢光晴選手が立ち読みをしているのをファンが見かけ、

三沢選手ですよね。サインもらえませんか?」

と聞いたことがあったそうです。

当時、三沢光晴選手はタイガーマスクとして闘っており、タイガーマスクが三沢光晴選手なことは、熱心なプロレスファンだけが知っている公然の秘密でした。なのに三沢光晴選手はそのファンに、

《タイガーマスク》

というサインを書いて渡したそうです。そのファンが、

「いいんですか? タイガーマスクって書いちゃってますけど・・・」

と、三沢光晴選手を慮って聞くと、三沢光晴選手は、

「いいんだよ」

と何事もないかのように言ったそうです。

これは三沢光晴選手の天然さを示す笑い話として、プロレスファンには有名な話なんですけど、

ぼくはこれは笑い話ではなく、

《本当に大事なこと以外は、細かいことは気にしない方がいいんだ》

という、三沢光晴選手の人生論だと思っています。

人というものは動物と違い、けっこう細かいことを気にし、ストレスを覚え、疲弊し、苛立ち、人によっては病気になってしまったりもします。

考えないことはダメですが、考えすぎることもダメだと思います。

三沢光晴選手を見習って偉大なプロレスラーになることはぼくにはもうできませんが(笑)、

本当に大事なことは真剣に考え、それ以外はあまり考えすぎないようにするという、そういうところはいまからでも見習えますので、実行していこうと思います。

と言っても、

おおらかに生きるのって、簡単そうで意外にむずかしいんですよね(^_^;)

ということで、

哀悼の意を表し、今回は三沢光晴選手のことを書いてみました(*´ー`)

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