トマトと玉子のオイスター炒め2018年05月10日 12:26

本日の日替わり料理は炒め物、煮物、サラダ風と、盛りだくさんです♪


  トマトと玉子のオイスター炒め 250円


     かぼちゃの煮物 200円


  ごぼうと鶏肉のごま風味サラダ 230円


ここからは雑談になります(●^o^●)

今朝の新聞で、『変身』などで知られる作家フランツ・カフカが、超ネガティブな性格だったという記事を読みました。

ネットで調べると、カフカはマジでマイナス思考だったことを証拠づける、いろんな人に宛てた書簡が残っていました。

ぼくは『変身』しか読んだことがありませんが、たしかにあの話もネガティブ感が満載でした。ご存知でしょうが『変身』はこんなお話です。


   カフカの『変身』の冒頭(漫画版)


ある朝、グレゴールが目覚めると、自分が醜い巨大な虫になっていて、当然家族が驚愕し、恐怖し、それが息子の変わり果てた姿だと認識しても、やはり愛することはできず、部屋から出ないように閉じ込め、最後はグレゴール自身も、家族も、彼が死ぬことを望むようになり、そして・・・

というお話です。

ぼくは、この奇妙な物語を20代に読み、そしてなんだか触発され、これを模倣した短編小説を書いた記憶があります。

ぼくのその小説のタイトルは『布団』で、主人公の《ぼく》は、ある朝目覚めると、自分が布団そのものになっています(笑)

母親が部屋にやって来ると、息子の姿が見えません。《ぼく》は母親に懸命に声をかけるのですが、それはもちろん心の中の声でしかなく、母親には届きません。

母親は息子は出かけたものだと思い、天気がいいからと布団を干します。

《ぼく》は日光にあたりながら干されることの心地よさを体感し、布団を取り込む際に母親に布団叩きでパンパンと叩かれることの、このうえもない快感に感激します(笑笑)

夜になっても、夜中になっても息子が帰って来ないので、家族は??となりますが、どうせ友人の家にでも泊まっているのだろうと気にもしません。

翌朝も快晴で、母親は息子の布団をまた干します。《ぼく》はまたもや、ゆるゆるとした安寧な気持ちになりますが、同時にこのまま布団として生きていかなければならないのかという不安を抱きます。ですが、やわらかな陽光の心地よさにはかなわず、

〈干されて陽に当たるのがこんなに心地いいなら、布団のままでもいいかもな・・・〉

などといった、お気楽な思考をしてしまうのでした。

息子は依然として帰って来ず、心配になった家族は警察に捜索届けをだします。ですが、もちろん息子は帰ってきません。というか、息子(になった布団)は実際にはそばにいるし、母親にいたっては、いつ息子が帰って来てもいいようにと、毎日布団を干しているので、毎日息子に触れてさえいるのですが、それに気がつくはずもありません(#´Д`#)

泣きながら布団になった自分を干す母親を見て、《ぼく》はさすがにお気楽な気持ちにはなれなくなります。

そんなとき、にわか雨が降りだします。ですが、悲嘆に暮れた母親はそれに気づきません。《ぼく》はずぶ濡れになります。

しばらくして母親が雨に気づき、畳の上に敷いたビニールシートの上に《ぼく》を取り込みます。ずぶ濡れになった布団を見て、母親は声をあげて泣きます。

「ごめんね、ごめんね・・・」

布団が息子であることなど知るはずもないのに、母親は息子の布団をびしょびしょに濡らしてしまったことに、それが悪い暗示となったのではないか、このせいで息子はもう二度と戻って来ないのではないか・・・という不安に駆られ、絶望感に襲われて激しく泣いたのでした。

母親のそんな姿を見て《ぼく》も泣きます。

「おかあさん、ごめんなさい・・・。心配させて、泣かせてしまって、ごめんなさい・・・」

声にはなりませんが、何度も何度も母親に謝りながら、《ぼく》はずっと泣き続けました。そして、いつしか意識が消えていきました。

気がつくと《ぼく》はずぶ濡れの布団のなかで、自身もずぶ濡れになって元の人間の姿で、そこにいました。

《ぼく》は泣きながら、階下にいる両親のもとへと階段を駆け降りました。

「おかあさん! おとうさん!」


・・・と、

たしか、こんな内容の小説だったと思います。

カフカの『変身』は主人公が虫になってしまって懊悩しますが、ぼくの『布団』は、主人公が布団になってしまっても、日光浴の心地よさに満足感さえ覚えてしまうという・・・

心配性でネガティブなカフカに対し、お気楽でポジティブなぼくの、性格の差が小説に反映された感じなんすかねぇ(*´ω`*)

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