きのこ入りたぬき奴鍋 ― 2021年01月24日 15:10
※酒類の提供はPM7時までです。
本日の日替わり料理は・・・
きのこ入りたぬき奴鍋 350円
たぬき奴(やっこ)と言うのは、揚げ玉(天かす)をのせた豆腐のことですが、
それを1人用鍋にきのこを入れて熱々でご提供します(^o^)/
日替わり料理をもう1品、紹介します。
豚バラ大根のこっくり煮 250円
時短営業中は、月曜と火曜がお休みになります(通常は火曜のみお休み)。次の営業は水曜日~ですので・・・
焼餃子・生餃子を買っておくなら今日ですよ~(^з^)-☆
ここからは『サクシネマ』です。
コンプレックスって大なり小なりみんなにありますよね。これは大きなコンプレックスを抱えた少女ふたりの青春を描いた佳作です。
『志乃ちゃんは自分の名前が言えない』(2018年)
あらすじを簡単に。
高校1年生の女子高生。自転車で二人乗りしているうしろの方が志乃で、彼女は人前に出ると自分の名前すら言えなくなるほどの過度の吃音症です。
「わ、わ、わ、わ、わた、わた、わたしの、な、な、な、なま、なまえは・・・・・・」
みたいな感じで、そのせいでクラスで誰とも馴染めず、お弁当を食べるときも、登下校のときも、いつもひとりぼっち。
自転車を漕いでいる方は加代といって、クラスではずっとむすっとしていて、誰とも口をきかず、彼女も志乃と同じで、いつもひとりぼっちな存在。
志乃は吃音をなおしたい、普通に友達と話せるようになりたいと思っては、ひとりのときは会話の練習をし、そしてそのときはスラスラとしゃべれているのですが、人前だとやはりひどくどもってしまうというジレンマに、自己嫌悪と現実逃避の気持ちを抱えています。
加代はというと、いつかはプロのミュージシャンになりたいという夢を持っていて、独学でギターの練習をしているのですが、残念なことにひどい音痴なのでした。
そんなふたりが、あるきっかけを機に仲良くなり、二人組みの音楽デュオ『しのかよ』(そのままです 笑)を結成します。志乃は歌うときはどもらず、その歌声は清涼感があってのびやかなのでした。
『しのかよ』は、やがて路上で歌うようになります。
ですが、
路上で歌っているところをクラスメイトに見られ、冷やかされたことがきっかけで、志乃はふたたび臆病になり、もう『しのかよ』はやめると言い出します。
加代は逃げずにがんばろう、いっしょに文化祭で『しのかよ』として演奏しよう、と説得するのですが、結局、文化祭当日になっても志乃の気持ちを翻意させることができず、加代はひとりで文化祭の舞台に立ちます。
そしてそこで加代は、本当は大切な友人とふたりでこの舞台に立ちたかったこと、でもそれが叶わず、今ここにひとりでいることを話し、初めて自分で作詞作曲した『魔法』という唄を、音痴な歌声で懸命に弾き語りし始めます。
それは志乃と加代のことを歌った唄で、人前でうまく話せる魔法があったらいいのに、上手に唄を歌える魔法があったら・・・という内容なのでした。
その加代の心の唄を、体育館の外で聴いていた志乃は、ゆっくりと体育館に歩み寄って行き、そして・・・。
コンプレックスを克服するのは容易ではありません。でも、そのコンプレックスまで含めて、それは自分自身なのだ、それは自分の個性なのだ、だからそれを肯定して逃げずにがんばろう・・・。
そういうメッセージが、恥ずかしげもなくあふれているこの映画、機会があれば観てほしいです。
コンプレックス・・・。
ぼくのようなオッサンになれば、いろんなコンプレックスも、〈ま、しょうがないか〉って思えるのですが、思春期の少年少女には深刻な悩みであるのはしかたがないことです。
まだ若いのに何でも〈ま、しょうがないか〉で済ませてしまうのも、ニキビがでないまま大人になるような一抹のさみしさがあります。
若者は、大いに悩み、大いに考え、大いに泣き、そしていつかそんな諸々を笑える自分になればいいのだと思います。そのことを《成長》というのです。
・・・なんて、
「《人》という字は、人と人が支えあって・・・」
の金八先生みたいなことを言ってしまいましたが、
「金八先生! 《人》という字は、人と人が支えあってるんじゃなくて、ひとりの人のことだと思うんですけど・・・」
ほら! \(^o^)/